2010年12月3日金曜日

extraction of the memory of UK 1; tomorrow's doctors

 tomorrow's doctorsという言葉に、その内容を知らぬまま、僕は避けがたい魅力を感じていた。現実的にいろいろな問題があっての医学教育改革であり、一般医GPの待遇改善や質的保証であったはずの英国医療事情の変化とその目指すところを端的に象徴している。それはまるでIconだ。tomorrow's dotorsー英国における卒前医学教育の基本理念と方法を示す文書のタイトルでありGMC(general medical council; 日本の厚労省のような組織)が何回かの改訂を行い現在に至っている。Iconの力おそるべし。tomorrow's doctorsはundergraduateのものだけれども、卒後の臨床研修にしめされている内容は完全にこれを踏襲しているし、またそれに響くように卒後臨床研修のサブタイトルはnew doctorsなのだ。faculty developmentも当然これらに合致する方向で行われているように見える。
 今回の渡英は実にそのIconの力がなしえたものだ。すでにその魔力にそまった僕の目には英国で経験する多くのことがそのようなものとして写ってしまうのは避けがたいことだったような気がする。記憶の取り出しと再構成は、したがって、そのようなmimd setの状態で行われることになるはずなので、読まれる方、ご注意ください。

2010年11月30日火曜日

how to experience a new experience/back from England

 ついに英国に行って参りました。10日ほどの渡英で帰ってから1週間経ちますが、やっと体調が元のレベルに戻った感じです。短期間にいくつかの施設を巡り様々な人に会い、僕はなにを学んだのであったかと振り返る日々です。記憶を再生し、新たに構築して、その中から力のある物語を取り出したいと思っていますが、まだ少し時間がかかりそうです。
 しかしながら、今回の経験の中でもっとも特筆するべきは、自分の経験の仕方の変化であったと思います。修学旅行のように静的にコンテンツをなぞるのではなくて、その場でコンテンツが立ち上がり動き出すような感覚を感じつつ、同時に俯瞰的な意識を保った見方。例えて言えば、ある程度熟練した外科医が、他の外科医のする手術をみるときの感覚に近いものの見方になっているようなのでした。しかも手術だけではなく、それをささえるスタッフの息づかいやチームワークまで同時に感じてしまうような。・・・どうも、言葉が足りない。
 もう一度再考します。
PS:英会話、やっぱりダメでした。

2010年10月31日日曜日

words,sentences,and narrative

 若い医師たちと話をしていてなにげなく言ったことが、後になって、自分ながら重要な意味を持つように思えることがある。これもその1つ。僕はたしかこのように言ったのだった。”学生さんたち、あるいは初期研修医の人たちが、外来の診察を理解できないのは当然だよ。だって、彼らの知っているのは、せいぜい単語(医学知識)かあるいは基本的な短文(典型的な診断)なのだし、実際の地域医療で行われている外来診察は物語を読み込んでゆく作業なのだから。単語の数が多いからといって、小説は読めないでしょ。文脈あるいはコンテクストが重要なのだし。”そして、”だからまた、外来診療を見ていて知っている単語だけを拾うような見学実習は意味がない、ってことだよ。少なくても、単語を確かめるために外来診察をみていてはだめなことは理解しておかないとね。できれば物語を読むその読み方や、読み手と話し手のインターラクションからさらに変化してゆく物語のlive性を感じるようにするのが良いと思うよ。”、ということを、異様な熱心さで語っていたような気がする。なんでこんな話になったのかの記憶がない。どうしてこんなに熱く語る必要があったのかも。
 さらに後日、風呂に入りつつ思い浮かんだこと。物語の主人公の行動特性・それを語る人の性格の特徴は、確かに物語そのものというよりは、物語を発動する主人公あるいは本人の特性と捉えられるわけで、これはDr.Fたちの言うところの現象学的な観点と重なるものだろう。つまり、PCM(patient-centered method:患者中心の医療の方法)で行われている動作の中にすでに内在していたものなのではなかろうか。うーん、そうかな?そうあってくれると、考え方が統合できてわかりやすいのだけれどもね。

mentor without contraction

 基幹型研修病院から2回にわたって地域研修に来てくれたS君。地域医療の方法は、どれも地味だし、いわれなければその方法を使っているのさえわからないほどのものだから、その理解にはケースを通した議論しかないんだ。ほぼ毎日3-4時間にわたる検討会を通して、なんとなくそのことをわかってくれたとは思うのだけれど、最終日に君に言ったのが、”混乱の意味を知ることが地域医療のコアだ”、だから、ますまず混乱させたのに違いない。いや、けっして君をいじめているわけではない。結局、僕自身がそのようなことに呪縛されてもいるのだしね。ただしS君。君が僕の言葉で混乱しながらも、カウンターをあてるような質問のできることは本当にすばらしかった。一方通行ではつまらないし、こういった状況の方が、僕自身にとってはありがたいことだから。なにしろ、すぐ調子にのって、自分の解釈を、さもそれが真実のように話す悪癖があるから。
 そうそう最後の最後に”僕のいうことを信じるな”と言ったのは、そういうことなのだった。要は自分で考えろという落ちがついて、今回の研修は終了です。・・・5年後、また会いましょう。自称おしかけ教師とのコンタクトは生涯続くと覚悟されよ。いや、これもいじめではないってば。

2010年10月20日水曜日

how to listen to English

 英語。いつもやっかいな英語、特に会話。話せないのも困るけど、まず、聞き取れないのだから絶望的だ。渡英を前にしてニンテンドーDSの『もっと英語漬け』を引っ張り出したり、英語の本を買ったりと、泥縄式の日々にあせりは募るばかりです。幸いになことに通訳までできてしまう有能な女医さんが支援して下さることになっているので、開き直っても良いのだけれど、せめて半分くらいは聞き取りたいものだ・・・中途半端は帰って危険か・・・それでも、礼儀として(?)少しは練習した方が良いと思う。ちなみに、米国式の方が聞きとりやすく感じるのはちょっと不思議だけれど、教材が大抵米国式の発音のものだからなあ。
 こんな日々の中で最近、ほんの少しだけ、コツのようなものを発見した!テンポを合わせること。いままでは聞き取るときに単語或いはフレーズを意味を固まりとして翻訳しながら聞いていたのですが、これでは時間差で相手の発言を追うことになるので、非常に苦しい。実際、すぐに追いつかなくなるし、意味のわからない単語が出てきた途端に会話終了となる。そこで、意味は追わないで、音だけをなぞる。その際、16ビートを頭の中で(しかも前頭部眉間のあたりで)刻むようにするのだ。おー、こうするとそのまま音が聞き取りやすくなり、しかも、うまくゆくと7割程度が理解できるではないか!なんだか同時通訳の気分だ。
 もっとも、滑舌の悪い人や声の小さい人、或いは全く未知の単語を使った会話状況では太刀打ちできません。またリズム感が悪そうなしゃべり方をする人も難しいようです。事の顛末はまた11月下旬に報告予定。・・・どうなることやら。

 
 
 
 

2010年9月27日月曜日

tears in the heaven

 村のほぼ中央、ただし部落と部落の間にある人家の少ない場所で、すこし山側に入ったところに授産施設と言われる発達障害の方たちの施設がある。義務教育後の10代後半から60歳代まで人たち50人くらいがそこで生活している。月に一度診察に行く。ほとんど施設のスタッフと変わらない雰囲気で働いている人から全く言葉を解さない人までかなり認知機能には差がある。自閉症やてんかんの合併症も多く、時には思いがけない行動をすることもある。
 言葉をほとんど理解できず話せもしないはずの重度の発達障害の方がたまに発する言葉が、”ぽっぽっぽ”ともう一つ演歌のワンフレーズだった。50歳代のその方の母はもう亡くなっているのだというが、その母が彼に歌い語りかけただろう言葉だけが、意味を理解されないままのその人の記憶に残り、時に再生される。彼は母を思うのだろうか。母はなにを思っていただろうか。知らぬ間に、その人を自分の息子に置き換え、その母を自分の妻に置き換えてみている。彼は口元に締まりがなく、いつも涎が滴っている。僕は彼にほほえみかけている。

2010年9月21日火曜日

on community medicine forum

 先日自治医大の卒業生が中心になって地域医療フォーラムという集まりがありました。今回が3回目のこの会合には約350名の人が集まり、地域医療についてワークショップを行ったのでした。主催は自治医大、自治医大同窓会、そして地域医療振興協会。テーマは3つ。1)地域医療再生 2)高度医療機関における総合医 3)地域枠学生との関連 1時間半くらいの討議と各分科会からの発表がありました。それはそれで時間もお金もかけているのだし、ありきたりとは言え、みんなまじめに討議もしたのであって、文句をいう筋合いもありません。あー、それにしても東京は暑かった。
 自治医大の中ではいったいなにがどのように問題になっているものだろうか。各県の卒業生は自治医大が今この瞬間になくなったとしてもあまり大きなダメージはなく、地域の医療に邁進するのだろうけれど、大学の教授たちはどうしたものなのだろうか?多分、各大学にそれなりにちらばってキャリアを続けているのだろうけれど、地域医療にはなんら支障はないように思う。彼らは地域医療を直接に思い煩うこともなかったのだろうし。だって、traditionalな教授たちなんだもの、仕様がないではないか。地域枠があろうがなあろうが、彼らには興味なんてあるはずがない。研究が全てなんだから。
 僕はこのようなひどい想像をするほど大学を愛しているのだろうと感じるけれど、これはなんだか妄想の類かもしれない。あ〜命捨つるほどの、母校はありや。普通、ないか・・・

2010年9月16日木曜日

new curriculum-2

 僕が望むカリキュラムは総合医の現場に即したとても現実的な履修項目の提示から始まることになる。時間、空間そして形式或いは方法論という大枠をまず示すこと。
Ⅰ  時間
Ⅰ−1.emergent Ⅰ−2. acute Ⅰ−3.chronic Ⅰ−4. life
Ⅱ 場所
Ⅱ−1. surgery Ⅱ−2. hospital Ⅱ−3. home Ⅱ−4.community
Ⅲ 方法
Ⅲ−1.communication Ⅲ−2. diagnosis Ⅲ−3. intervention Ⅲ−4. PCM
これらは例えば、急性の状態×診療所設定×診断・治療という状況が考えられるということを表現できる。次にそれぞれの履修すべき下位項目が続く。
Ⅰ−1 emergent
①consciousness disturbance ②shock ③dyspnea ④chest pain ⑤trauma
Ⅰ−2 acute
①pain ②fever③anxiety④organ specific symptom⑤・・・(未定)
Ⅰ−3 chronic
①knowledge of chronic disease ② behavior change 
 つまり時間の切迫状況に応じて対応するべき症候を中心にした分類を基本にするということ。例えばacuteでpain,feverという項目がありますが、これらは臓器にとらわれない考え方が必要であるという意味で総合或いはgeneralらしい視点を提示していると思います。地域の現場では痛みや発熱で受診することが非常に多いのですが、痛みに関して言えば、領域にこだわらずに痛みをとらえ解析することで不確定な状況に対応しやすくなります。またemergentの状況では、意識レベルの判断・対応、バイタルサインを常に意識しながら行う医療行為、心臓血管系への配慮、そして外傷対応は必須であって、実際の救急室の動きをなぞらえたものになっています。慢性疾患では各疾患別のコントロール状況と検査ならびに行動変容が大きなテーマになっていますのでこのように分類しました。最後のlifeという項目はlife eventを含んだ生活に関連したものの見方とアプローチを学習するものです。
 これらに続いて、さらに具体的な臨床に即した学習項目をお示ししたいと思いますが、え〜、さらに続く・・・かなあ(実はまだ思案中)。
 



2010年9月15日水曜日

new curriculum−1

 医師会雑誌に生涯教育新カリキュラム〈2009〉が掲載されていた。医師会主導の総合医認定のためのカリキュラムで、福井次矢先生をはじめ医学界ではつとに有名なメンバーが数年をかけて制作したものだという。地域医療の崩壊への有力な解決策として出されたのが”総合医”であったはずのカリキュラムは、なんと実行される前に医師会の新人事とともにまるで骨抜きにされたのだった。生涯教育受講認定書が欲しい医師会所属の専門医の便を図ったのだそうだけれど、広い範囲の内容を取得することが前提のこの仕組みが、好きな科目を決められた時間受講するだけでよいという以前の形に戻ってしまっている。地域住民のための計画が、医師の便宜でご破算にされる。カリキュラム制作に尽力された方々の深いため息を思って、こちらも深いため息が出てしまう。professionalismが泣く。30年前も、20年前もすべて総合を目指した研修カリキュラムは医師の都合で不発に終わった。世間は失敗の事実さえ知らなかった。それでも現在希望があるとすれば、地域医療の崩壊を目の当たりにした世間が、以前よりも医師の研修やその考え方に注目しているということだ。社会の要請と無関係なprofessionとはそもそも語義的にみてもありえないのだし。ばかやろー(と、海に)。
 医師会の新カリキュラム自体は、さすがに、洗練されていて美しいと思う。作成された方々の情熱や優秀さがよくわかる。ただ、本当に僭越と思うのですが、地域医療の現場から言えば、少し物足りないとも感じます。僕が欲しいのは・・・次回に続く。
 
 

2010年9月13日月曜日

communication dive

 季節がようやく秋らしくなったせいか、少しいつもの感じをとりもどしている。渡英の話、或いは若い同僚たちの結婚話もあり、息子の進学や就職のこともあり、今週末は東京出張もあって、やっぱり落ち着かないのはいつものことだけれど・・・そうそう少しいつもの感じ。外来の会話の中に沈潜してゆくときの妙な感覚のこと。最近は、相手の視線のベクトルの中に、自分の視線を飛び込ませて、自分の表情を相手側から想像するという変な作業をしている自分に気づいて驚く。彼の表情の微妙なゆらめきに、自分の表情が同期する、或いはその逆、さらにまたその逆。まるで自分の顔を鏡で見ている時のようにいたたまれなくなってきて、すぐに視線を下方5度ほどそらせては、ではまたいつものお薬を、なんて言っている。なにをやっているんだか・・・コミュニケーションの起源を追体験しているような気もするけれど、なんだか触れてはいけないものに触れているような気もする。或いはこんなことはあんまり普通すぎて、みんな感じないのだろうか。コミュニケーションは考えるほどに難しい。意識する人ほど、難しいのだろう。意識せずにするコミュニケーション、これはまた相当に困難だろうし、そんなのそもそも必要とも思われない。
 外来診療の不思議さや奥深さや恐さを感じつつ、それでもcommunication diveするのだ。そこは多分、家庭医・一般医の住み処だからね。うーん、自分の首をしめている気がする・・
 
 

2010年8月31日火曜日

teaching medicine in the community

 英国の地域医療と医療教育を視察する下準備ために医学教育に関連した文献を読んでいます。あらためて日本の新臨床研修制度の内容とそれを実行するために展開されている指導医講習会のことを考えながら、その理想と現実の間隙の深さに戸惑いを感じます。僕を含めた指導医講習会の受講者たちが、はたして現場でその教育理論を用いながら、現実的にその体現者たりえたかというと、実のところ厳しいです。各科には徒弟制度の影響がまだ色濃く残っている状況で、講習会でならった成人学習理論・学習者中心の教育を実行することの困難さは、議論するまでもなく分かってしまう。そもそも大学での教育でさえ全く学習者中心ではないのだから、当たり前と言えば当たり前のことなんだけど。
 臨床研修制度の内容は決して悪くない。ただ、その大きな目標となっている医師としての人格の涵養や学習を自発的に続ける能力の獲得といったところになると、これは、忙しい各科の現場ではなくて、むしろ大学でこそ系統だって学習するべきもののように思う。表題の本を読むと、かの国ではこれを卒前教育として地域中心で行っているようなのだ。医療制度等のお国の事情はあるのだけれど、膨大な情報の氾濫、医療の社会化、他職種とのチームワークなどが必須の現代で、医師として生涯発展するための能力をこの時期に、しかも地域という現場で獲得するというのは本当に重要だと深く思う。自治医大の卒業生たちが自前で獲得してきたことと同じ形であることにも驚きました。なんという教育システムだったことか!
 研修制度のマイナーチェンジがあったけれど、大学教育との連動の必要性はあまり問題にされてないのだろうか?各科の技術は卒後の研修で、医師としての基本骨格(内容ではなくてその形)は大学で。多分それには従来の慣習を大きく変えなければならないし、母校自治医大もそれに気づかなければ、未来はないとも感じます。各地域にいる卒業生がいなければ、実は自治医大は普通の医学校の1つに過ぎませんからね。

2010年8月27日金曜日

story telling: live and let live

 1ヶ月或いは3ヶ月という長い期間を地域研修に費やして帰って行く研修医の人たちを見送るのはいろいろな意味で感慨深い。その会話の断片を思い出す、多少の痛みも伴って。
 彼らが傷ついたり悩んだりするそのたびに、何か言葉をさがしてきて語るのは、やはり自分のこと以外ではないのだけれど。自分の経験を再構成して語る物語から、なんとか力のある言葉を取り出そうとする作業は思いの外難しい。まず彼らの今の文脈とそのテーマに合わせて自分の経験を再構成する。もとより客観的な経験というものが存在しない以上、それを実際の経験とするのは無理があるのだけれど、物語として語ることで、とくに力のある言葉を発見できれば、聞くものに勇気をあたえることができるだろう。未来に踏むこむ力になるだろう。それ以外に自分の経験を後輩に話す理由など本来はない、と感じる。しかしながら再構成した自分の経験を語ることで、自分もまた救われるという鏡合わせのような構図もあり、どちらがより多くを得ているかというと、おそらく自分の方なのだ。このことに自覚的であろうと思う。ひとりよがりは僕の悪い癖だ。言葉が相手をさらに傷つけることも多く経験したのであるし。
 T先生、M先生、またいつか会いましょう。

2010年8月7日土曜日

go england go

 秋に英国に出かける予定。昨年は医師数が1名減ってしまってそんな余裕もなかったのだけれど、今年はなんとか行けそうです。たった1週間なのですが、目的は2つありました。1つは新しい診療所を中核にした地域医療・家庭医療のネットワークを広げて、この分野を希望する若い人たちにとってより活動的で魅力のある機会を提供できる施設になること(この地域の医師確保が大きなテーマではあるのですが)。そのための布石。もう1つは個人的なもので、GP(一般医:general practicioner)と言えば英国がオリジナルという感覚がずっとあって、米国式のFP(家庭医:family physician)とはちょっと毛色が違うgeneralistたちの実際の活動、その考え方や行動の生の姿を見てみたいというのがありました。医療システムの違いや民族性の違いはもちろんあるにしても、医師・患者という1対1のそのリアルな場面で生成されるだろう日常診療には共通の形式と問題点があるはずで、それを見たり或いは議論してみたいということでした。GPとしての自分をさがすような或いは確かめるような旅にもなるはずなのですが、かんじんの英語力がなあ・・・それでも気分はgo go englandです(いくぶん昭和的)。

2010年7月28日水曜日

dream of multiple thread;PCM×phenomenology

 なんでこんな夢をみたのか自分でもいぶかしいのだけれど、夢の中では、 "そうだ、multiple threadこそが、全てを(いかにも夢っぽい断言の仕方で)説明するのだ。”と言っていた。multiple threadなんて言葉も、どこかで聞いたことがあるなあ、というくらいでよく知りもしないのに全く不思議なことでした。夢の中のそれは、関係性による物事の存在成立を1つの平面(plane)とイメージしていて、それが無数にかさなり合って世界が成り立っており、しかも同時に併存していること。また1つのplaneは各自の関心志向性によってなりたつセットになっており、このplaneのどこかへの接触の違和感と親密感が他者性のよりどころになっている(夢では)。なお各自が無数に持つplaneはさらにメタな関心志向によって貫かれ、再構成され、随時新たな或いは一時的なplaneを形成する。このplaneの生成の有り様をmultiple threadと言っていた・・・ような気がする。ちなみに、今朝wikipediaで調べてみると、threadの原義はより糸を構成している1本の糸のこと。よくコンピュータのプラグラム関係で使われている言葉で、プロセスよりも細かい並行処理の実行単位と説明されている。うーん、なんだかよく分からないが夢の話と似てないわけでもない。おそらくPCMと現象学の話からたまたま出てきた夢なのだろうけれど、せっかくなので実際の臨床でその意味を考えてみようかな。

2010年7月23日金曜日

the magic dragon swings his magic wand

 先日I市民病院からお手伝いに来て下さったmagic dragonことN先生の話。painに関する知識や技術に長けていて、もう本当に魔法をみているようでした。magic dragonというニックネームを勝手につけたのは、そのユニークな経歴やliberal artsへの思いの深さが、まるで異国のお話のようだったからでしたが、医療面での卓越さを目の当たりにして、ありゃりゃ、本当に魔法使いのようだな、と思ったのでした。さらに言えば、前回のブログに関連しますが、臨床への現象学的な視点の導入についても相談したのでした。そりゃもう、本を調べるのでもなく、問題となっていた文章を解析してささっと教えていただいたりして・・・うーん、呪文?そしてまた、あっという間に尾駮診療所から姿を消していたのでした。また、おいで下さいね〜

2010年7月20日火曜日

analysis of crying ; an introduction of phenomenology

 泣くということ。最近は確かに涙もろくなっていて、以前ではありえない状況で涙が出る或いは目頭が熱くなる。一般的に年齢によると思われているこの手の変化は、実は同じ表象をとらえるこちらの志向性が大きく変化したことによる感情反応の変化なのだと現象学的な知見は教えてくれる。はかなさの経験、或いは失うことのせつなさを獲得したことで、自分の中の認識は変わっているのだ。音や味や色彩の感じ方に個人差や経験が関係するように、僕の涙もろさにもそのような変遷があるのだろう。僕が生きてきた人生によってもたらされたものであるにしても、この涙もろさは僕に固有の物語では説明がつかない。一所懸命な人を見ると涙が出るということを、そのときにそういう人を見ていたという状況で説明することは難しい。涙もろさの発現には、はかなさ・失うことのせつなさの獲得という認知行動的な変化が必要だったのだ。たぶんDr.F(たびたび登場する僕の友人)が臨床にとりいれようとしていることの内実はこのようなものだと思うのだけれど。
 実は、先日久しぶりに若い女性が泣く姿を見て、その事情を検討する必要ができたのでした。どんな状況で、どうして泣いたのか。彼女の解釈は?希望は?こちらの対応は?これらの物語的な解釈で理解され解決される問題も実際の臨床では多いのですが、ある人たちとっては周りの状況にその責任を帰するよりも、その人にとっての泣くことの意味或いはその認知・行動特性にアプローチしたほうが適切と思われることもあります。そしてそのアプローチの選択は多分やってみてだめだったら、他のアプローチへ、というのが現実的かなあ、と、 やはりこれも経験から獲得した(年取ったと言うことですね)日和見主義を炸裂させつつ思うでした。Dr.F、現象学の入門書やっと一冊読みました。
 

2010年7月9日金曜日

to know why not to know

 先日調子にのって汎用診断論なんというものだから、そのすぐ翌日に、診断できないで3次病院にお願いした方がおりました。うーん、天にみられているような感じではありますが、この際、なぜ診断ができなかったのかを考察してみます。
 まず、汎用診断論では障害部位(解剖)×タイムコース(病理)で仮の診断名を決めます。その病因に関しては発生状況から予想することになります。また、その時点のバイタルサインにはリアルタイムな病態生理が反映されていると考えます。ですから、現実の対応としては、病態生理に即時対応しつつ(循環、呼吸、意識が中心)、診断を同時に或いはそれに引き続いて行うということになるのでした。例えば次のような形になります。
1)病態;呼吸不全  
2)診断;肺炎:肺の広範な浸潤影(解剖)×上気道症状から1週間での増悪(タイムコース)
3)病因;肺炎球菌?:市中での発症、高齢者 糖尿病
 以上から、診断ができないときは、当然ながら、障害部位の特定ができないか或いはタイムコースの把握ができないとき、ということになります(病態があまりに逼迫していれば診断まで辿り着けず、高次医療機関に搬送ということもあります)。今回診断がつかなかった方の場合、障害部位はおそらく消化管×急性発症で持続性かつ波状の変動があることから急激な血流障害?ということで、解剖・病理(特に病理)いずれの要素も不確実性が高い状態でした。また病態としてはバイタルサインは比較的安定していましたが、痛みはおそらく経験したことのないようなレベルのつらさであることから逼迫した痛みの発生が疑われました。まとめると、①診断は解剖<病理の両方で不確実であり危機的なものを否定できない、②病態(痛み)は逼迫しておりさらに診断する時間の余裕がなかった、ということです。診療所でのこれ以上の診療は危険と判断し搬送いただきました。無事な帰還を祈ります。
 

2010年7月7日水曜日

diagnosis shows the way

 以前にも診断は未来を動かすということをお話したことがある。新しい研修医の先生にPCMの意味と、それを構成する疾患、特に診断について説明していたのですが、あらためて診断の意味を確認するようでした。若い人が来ることでこのような根源的な話題を検討できるのは本当にありがたい。
 医学生時代に病気の勉強をし、その名前と病態を理解し暗記する。研修医となって実際の患者さんでそれを確認する作業が続く中で、いつしか診断とはその教科書にある当のものを現実にあてはめることであるという感覚になりがちでしょ?。特に初期の研修では病棟勤務が主体であって、受け持ちの患者さんはほぼ診断済みの人なので、診断より治療とそのための検査に意識は集中する。ちょうど失われたものを取り戻すような作業だね。
 一方、外来が主体のプライマリ・ケアでは診断は未定であって、そもそも各科に分かれた患者さんたちが自分の目の前に現れるわけではありません。不確定であり、変化は激しく不安定の状態で私たちにできることは、まずは緊急事態の除外であり、次いで病態の推定しそれを説明できる解剖部位の限定・時間の解析による病理変化の予測です。これらを診断名に翻訳して、初めて一般化されたものとして認識され、その予後や経過をかなりの確実性で予測できるようになります。
 未来予測のために診断をする、つまり診断をすることで未来が予測できるということろが本来の診断が持つ意味と力なのだと思います。そう、診断は暗がりの中に道を示すものだ。PCMと言っても、まず診断の精度がものをいうのは当然です。またそのための診断学を汎用診断理論と、大げさに名付けています。興味のある方は尾駮診療所まで。

2010年6月29日火曜日

trinity

 日本プライマリケア連合学会に参加。同じ志の人たちと会う。若手の研修医から、20年来の友人、あるいはこの学会だけで毎年見かける何処かの人〜声をかけたこともないけれど。大きめの同窓会のようでちょっと安らぐ。勉強よりもそっちだよなあ、きっと。
 ところで、この学会はプライマリケア学会と家庭医療学会、総合診療学会がgeneralという1つの旗のもとに集まり、国民に理解をいただくとともに医療の再生をめざすための連合であった。その第一回。それにしてはちょっと盛り上がりにかけている。ポスター発表数が少ない、会場の一体感がない、融通の利かない対応。プライマリケア学会は医師だけでなく、看護師さんや介護の方、或いは薬剤師さんなども会員として活動しており、医師も開業医さんが多いので、どちらかというと地域ベースの多職種学会。その他2つはあきらかに医師中心のもので、他分野の学会と同じ体質のものであった。これをそのまま集めて発表やポスターをやっても、ただ集めただけで、ちっとも面白くない。むしろそれぞれがフルパワーでやっていたものを、それぞれが1/3だけ出すものだから、熱気も下がっているような感じでよくない。連動してめざすはずのゴールがはっきりしないのだ。
 三位一体が救いのための関係性を示すものであったように、この連合もまたそれぞれがそれぞれに対して何ができるかを、そしてその救いがなにを意味するのかを問わなければならない。evangelistの語りに熱狂するのが牧師だけであってはならないだろう。

2010年6月21日月曜日

generalist and its meaning

(県人会MLの話題から:総合診療・generalについての私見(改))
 総合診療の意味を考える場合、言葉の問題もあって大抵混乱します。専門医が特定の臓器・病気の修復に強い興味を持つのに対して、generalist は不確定な症状や状況に対応する特性があります。専門医が時間軸のない科学を基盤にするのに対して、generalistは状況依存、時間依存の考え方をします。救急、地域医療に対してgeneralistに適性があるのはこの特性のためです。
 なにをするかという枠組みでとらえるとgeneralistは何でも屋でしかありませんが、どう対応するのかという枠組みでとらえれば、各科の基本技術はもちろん時間・人間関係等なんでも利用するというその優れた特性と専門性が理解されます。ただし、そのoutcomeと方法論をきちんと意識していないと医学の一分野としてはなりたたないとも思います。
 救急、地域医療(プライマリ・ケア)、或いは総合診療は機能を表した言葉ですから、実はどの科の先生がやっても良いのでしょうが、この分野に求められるものを考えればやはりgeneralistの特性をもつ者が適していると思います。総合診療部の苦労は周知の事ですが、generalistという視点から見れば、関係性を基盤に各科の調整や地域との関係調整、或いは外来のあり方を考えることは、確実にgeneralistの生き方ということになります。状況によって自分をこそ大胆に変えて行くからです。それは、できることを機械的に提供するのではないgeneralistにしかできないことでありますね。残念ながら、それをみるdimensionを持たない人にはなにもしていないように見えるのですが。

 どうか、だれかに伝わりますように。

2010年6月14日月曜日

even in a dream

 いまも忘れられない光景がある。特別養護老人ホームでのこと。彼はもうすぐ90歳になる。多少の高血圧がある他は身体的な問題は見られなかった。施設の部屋は4人部屋であったが、十分なスペースがあり、古い診療所の病棟に比べれば断然住み心地は良い。外側に面して大きな窓があり、彼はよくその前に立っては一つの動作を繰り返していた。外に向かって何度も手招きしながら、”母さん、来ーい。母さん、来ーい。”と呼ぶのだった。窓の外、遠くに見える妻の姿は、彼以外の誰にも見えない。朝も昼も、晴れていても、雪が降りしきる日も、夜の帳が降りようと、彼はいつも繰り返していた。
 幻覚でも、夢でも、なんでも、妻に会えること。しかしながら、決して自分の傍らには来てくれないこと。達せられることのない望み。そのたびに全てを忘れてしまう彼は幸せだったのか。ただ悲しみが繰り返されるだけなのか。薬での対応を僕は口にしなかったし、介護して下さる人たちも言い出さなかった。その透明な哀しみを、いとおしく思っていた。
 なぜ思い出すのだろう?空の青が記憶に及ぼす影響に関する文献を、僕は知らないけれど。

2010年5月25日火曜日

face

 いつも地域医療・家庭医療では関係性が重要なのだと話していますが、僕は小さい頃から人付き合いが苦手です。外来では医師患者関係という非対称の中にあり、世間での人付き合いよりも圧倒的に優位な立場なので、その分下駄を履かせてもらっている。普段は下を向いている事が多いので、世間的には人付き合いの悪い、なんとなく話しづらい、付き合いにくい部類に入るのだと思う。最近はすこしだけましにはなっている気がするけれど。
 問題は顔なのだ、より正確にはその表情なのだ。あるときには優しく、高貴であり、ある時には恐ろしく、或いは不気味な、威嚇するようなもの、或いはまた切なく訴えるもの。それに合わせてこちらの感情と顔つきが変動する。たしかに脳或いは魂の表現として顔は特別な意味を持っている。同じような表情になるときに脳或いは魂は共鳴状態にあり、補色関係のような表情の対となるとき、波風は高いのだ。子供の表情はストレートで作為がなく、泣き顔も笑顔も心地よい。いつから女性は笑顔に哀しみを潜ませることを覚え、いつから男性は憎しみの目を笑顔にはりつけたのか?みんなまるっとお見通しだと言うのに。
 なんの話?・・・地域医療には関係性が重要で、そのもっとも基本となる単位が顔・表情の対であるということを言いたかったのでしたが、論拠もなにもあるわけではなく、自分のコミュニケーション下手の言い訳になってしまったようです。
PS:劇場版トリック面白かったです。

2010年5月19日水曜日

father and son, doctor and patient(2/2)

 という具合に学生さんたちを置き去りにレクチャーは進むので、彼らの頭上には多くの?マークがくるくると回転しているような気配があり、僕自身は変な汗で背中がじっとりしていたのでした。ああ、時間の進みが遅いし、空気が重い。K教授はなんだかにこにこしているような感じなんだけれど、こりゃ早く帰ったほうがよいな、と思いました。
 初めのスライドショーで子供たちの小さいころの写真を写しだし、”私が父になったのは、生物学的に彼が発生した時でもなく、母胎から離脱したときでもなく、ふにゃふにゃとしておっぱいを吸っている時でもなかった。彼が私をめがけてハイハイしながら近づいてきて、とうさん、と呼んだその瞬間なのである!このように父は発生し、その後も呼びかけに応えるその瞬間に私の中の父が立ち上がるのである!”・・・訳わかんないよねえ。続いて患者さんたちがこちらをみて微笑んだり、或いはじっとみつめるような写真のスライドショーをtsunamiのBMGを流しつつ思い出話をし、”そして同じように、医師とは、患者さんの視線にあって、それに反応するそのたびに発生する関係性のことなのである!”・・・と、言ってしまったのだけれど、変な宗教家みたいに見えたかなあ。自分なりに一所懸命だったのは確かなんだけれど。
 学生のFさん、そしてN君、つきあってくれてありがとう。来年はもう少しちゃんとした人になりたいです。

2010年5月18日火曜日

father and son, doctor and patient(1/2)

 H大学医学部の2年生さんたちは地域医療入門というレクチャーシリーズを受けている。地域医療の確保が大きな目標なのだと思う。ところで僕もその講師の一人として本日お話をしてきましたが、どうも気持ちが先行していて、あ?、いつも通りか、ひとりよがりの印象がいなめないまま帰宅。それでもK教授は真意を理解して優しく評価してくれたのだけれども。
 地域医療を家庭医療の視点で見たときにみえる風景を、community as partnerと関係性という2つの観点から説明しようしたのでした。話の半分以上がフォトアルバムの動画とそのナレーション(BGMつき。サザン)で構成して、その合間にkey wordの説明をしました。その後に診療所で一ヶ月間研修していた同学部6年のN君の研修報告あり。最後にフォトアルバムを映画のエンドロールのように流して研修中のFさんの写真でストップモーションとしてから会場を明るくし、Fさんが登場。Fさんの感想を2年生にお話してもらいました。この辺は少しかっこよかったかな。一瞬会場がどよめいていたし。
 関係性を説明するときに学生さんたちになげかけた質問;what is doctor? when does doctor become doctor?続いてwhat is patient? when does patient become patient?さらにwhat is father? when does father become father?  あんまりだよなあ・・・(続く)

2010年5月1日土曜日

whistling under the spring moon

 ふと気づくともう4月が終わろうとしている。新しい人たちを迎えて、夢や希望や、雪やあられや、解剖や病理や結婚の話で盛り上がっている間に慌ただしく一月が過ぎている。ああ、これは本当に夢なのではないか、と疑うほど、僕はうかれていたようです。まるで新芽のような若い医師たちやその奥様たちの姿を見る。うん、初々しい。学生さんや研修医の人たちとの議論が夜まで続く。ああ、楽しいけれど、新婚さんにはちょっと気の毒でもあるが、これが人生なのだよとさすがに50歳を過ぎた僕が言うのも、妙に誇らしい。そうそう、僕はあんまり酒が飲めないのだけれど、無粋なことは言わないから、うんと楽しんでくれ。桜祭りは最近ご無沙汰だけれど、不思議なことに、僕は春の宵の月の下で、少し酔っぱらっちまって、はるかに望む岩木山に向かって一人口笛を響かせているような気分なんだ。
 なんだか不思議な4月でした。みんなありがとう。これからもよろしく。

2010年4月7日水曜日

3D

 今年も地域医療の実習に学生さんが訪れてくれた。純朴な感じのスポーツマンでとても人当たりがよい。大きな病院で一通り専門科を実習した後の地域医療実習なので、中規模の市中病院での研修が第一、第二希望であったとのこと。うん、とても正直でよろしい。つまり当院は第三希望(或いはそれ以下)なのだけれど、気分はwelcome to community mediceなので、(ほとんど)気にしていないさ。
 大学以外の施設での医療を地域医療として分類しているように思える実習参加施設の一覧を見ながら、さらに学生さんとの会話で想像できる医師像を思いながら、だからこそ、ここでの実習はcounter cultureとして彼にとって幾ばくかの視野拡大に寄与できるだろうと思う。この数日で話したのが、例えば、医師とは何者か、診断理論と診断の意味、治療すること或いはしないことの意味、臓器別の医療に取りこぼされるものとしてのcommon diseaseのこと、コミュニケーションネットワークが地域医療のベースであること、そして例のごとくpatient-centered method、など。まるで、禅問答のような感じで進むdiscussionで、彼、きっとつかれただろうと思う。がんばれ学生さん。この実習を乗り越えた暁には、大学の医療が3Dで見えることだろう。異なる視点の獲得こそが教育の成果というものだぜ、・・多分。

2010年3月26日金曜日

pride

 自治医大を卒業してからもう何年になるだろうか。送別会に集まった面々は確かに平均45歳程度の年の取り方をしているのだけれど、お互いの入学時期が近いものだから、なんだか学生寮に戻った気分だ。主役であるはずの送られる人のことが話題の中心にならないというのは、健全なのだか、失礼なのだかわからないけれど、言いたいことを言える仲というのは、この年齢になれば稀少なのであって、そこにいるだけで結構楽しい。
 その中にあってK先生の話は圧巻だった。孤軍奮闘の末に大きく花を開いたERセンターのことを熱心に情熱的に語っているその姿は、僕が研修医になりたての頃と大きく変わっていない。20年以上前のことを思い出す。いつもなにかと戦っているような生き方、敢えてぶつかってゆくようなそれを、うんと若いころの僕は、ちょっと変わった先輩というくらいの見方で接していたのだったけれど。しかし今回、K先生の話方の中に、必ず自治医大という言葉が出てくることに気づいて、ようやく理解したような気がした。彼は自治医大を本当に愛しているのだ、その看板を誰に言われるのでもなく背負い続けているのだ、ということ。
 実のところ、診療所という立ち位置で20年にわたり地域医療を語ることで、僕は自治医大のあり方をもっともよく体現していると、不遜にも感じてきたのだったけれど、それは屈折しており、どこかすねた子供のような気分をともなっていた。K先生の場合には、かけねなし、条件もない、母校に対するひたすらの愛情のようなのだ。自分を愛してくれ、ということもない忠誠に近い愛情なのだ。その戦士のようなprideに僕は圧倒されていた。・・・やっぱり先輩はすごいや。

2010年3月16日火曜日

how to make a family physician

 先日、後期研修の1つである家庭医療コースの研修評価会に参加しました。プログラムの名称は家庭医療ではなく地域医療というタームを使っていますが、まぎれもなく旧家庭医療学会が認定した家庭医養成プログラムです。評価会では秋に行われる家庭医認定試験に準拠した形式で行われ、その中心はテーマ別に実地模擬試験(OSCE)とポートフォリオによる研修全体の評価でした。1人の受験者に2人の教官がつきっきりで30分の試験を行い点数をつけ15分でフィードバックを行うというもので、形成評価を含んだものでした。受験者も疲れるのですが(OSCE4種類、ポートフォリオ1つ)、評価するほうも結構へとへとになりました。みんな・・・お疲れさま!
 家庭医になりたい。僕は40歳を過ぎたあたりから本当にそう思うようになった。それはなぜだったか?家庭医であろうがなかろうが、地域医療で行うコンテンツは変わらない。敢えて家庭医という必要がない。何でも屋、医療のコンビニ、便利な医者。自治医大の卒業生の中で、ある人ははそれで納得がいっていたし、ある人は専門医をめざして一般的なキャリアを求めて去って行った。地域の患者さんも僕らに多くを期待しているわけでもなく、専門施設を求めて都会に通院する。科学技術こそが価値であるならば、それはそれで仕様がない。地域の医者に診てもらうのは、どちらかと言えば、仕方なく、だ。通院する力がなくなったり、お金がなくなったりということで、まあ、いなかの低レベルで我慢するしかないか、という人も多い。この虚空の中で正気を保つことはとても難しかったのだった。そこからの跳躍に必要だったのは、今思えば、”あこがれ”だった。しかも自分の後輩がみつめたその方向を僕もみつめるというあり方で。家庭医療は僕にとっては虚空に意味を与え、自分に力を与える光だったのだ。
 家庭医療を教えるのは本が有れば足りる。そして、家庭医をつくるのがコンテンツでないことは自明である。
PS:病棟総合医はそれでもできちゃうと思うけどね。
  

2010年3月2日火曜日

join our BSAP AOMORI

 以前にもご紹介したBSAP(BPSD support area project、全国10県ほどで展開中)の青森支部の研究会を先日行いました。今回は連絡の不備もあって約30名の参加。天候は良好で、会場のアスパム(青森市にある△形の建物で観光物産館の名称)4階から眺める陸奥湾も春の海のような気配でした。午後3時開始で軽食を挟み午後7時まで。皆さん、お疲れ様。
 ちなみにBPSDはbehavioral and psychological symptoms of dementiaの略で、認知症にともなう周辺症状或いは問題行動と言われてきたものとほぼ同じもの。外出して帰れなくなったり、興奮して歩き回ったりして、その周囲の人に多大の影響を及ぼす症状のことで、認知症の治療や介護でもっとも対応が難しいものです。そしてBSAPは認知症にともなうそのような症状を、その人の住む地域で家族を含めた地域のチームで対応してゆこうという考えを全国に広めるための組織です。研究会のメンバーは従って、医師だけではなく、看護師さんや保健師さん、さらに介護職員さんや福祉関係のスタッフなど多職種にわたっています。
 各県での研究会はその土地柄や構成メンバーのキャラクターで異なっているとのことですが、青森の特徴は臨床心理的なアプローチに重点を置いているところです。基本的には薬の使い方や基礎知識、地域チームのあり方を勉強するのですが、なにか物足りない。そこで臨床心理学。研究会のワークショップでは、ご家族の心理とともに対象の方の行動を動機づける心の動きとその理由を把握することで、医師を含めたスタッフのその人に対するまなざしや接し方に変化を生じたようです。ご本人或いはそれに反応するご家族の物語を推測することで、まなざしが優しくなるのです。現実はもっと厳しい、過酷なものだ、その通り。それでも、その中に見え隠れする優しい物語に、ご家族もスタッフも救われることがあるのなら、ただのお遊びとは思いません。暗闇の中の差し込む光とでも呼びたいほどです(また口が滑っている・・・)。興味のある方は、どうぞご連絡を。

2010年2月26日金曜日

all that's narrative

 研修医のF君、診療所での研修お疲れ様でした。これが最終日ということで、どうしたら青森に、特に六ヶ所村に、医師を呼び寄せられるかという質問をF君にしてみました。青森は食が豊である、四季もはっきりしていて景色は美しく、各季節には特徴的なお祭りもある。人は純朴だし、女性は素直で優しい(人もいる)。それにF君が興味をいだく恐山はすぐそこだ。地域医療に興味もあるし雪にもなれている君だけれど、やっぱりそれでもここに来たいとは言わない?うーん。やっぱり。彼が挙げる理由は他の研修医の意見より正直だし、示唆に富むものだ。つまり、地域医療をやるのであれば多くの選択肢のあるフィールドの中で自分にとって一番有利なものを選べばよいのであって、ここである理由はない、ということ。うーん、そりゃ、そうだよね〜。自分で選べそうな気がするよね、普通。
 その後、人生の話になったり、専門性の話になったり、はたまた結婚の話になったりと酒の肴に話しはどんどん代わってゆくのだけれど、君と話しをしていてわかったことがある。僕の現在は僕が意図したものではまるでなかったということ。ある事態に対応したその後の有り様からみて、その事態とその後をつなぐ物語をこしらえつつ歩んできたのだなあ、という感慨にちょっと驚きました。ちょうど夢の生成過程と鏡面関係になったようなものだ。僕が果たして最初から六ヶ所村で地域医療や家庭医療を目指してきたなんていうのは僕を納得させる物語の1つなのであって、そんな事実はなかったのかもしれないと思うくらいだよ。
 大事なのはまずはその事態に対応することであって、理想をつくってから動くというのは現実的ではないのかもしれないよ。なかなか結婚しない人にもよくあるけれど、結婚してから結婚の意味がわかったりするもんなんだ。そこで、提案なんだけれど、とりあえず六ヶ所村で働いてみて、それから考えてみる、というのはどうだろう?恐山も近くにあることだし。だめ?

2010年2月22日月曜日

no kidding

 ふざけんな、という日本語の勢いに自分でも驚いて、no kidding!でお茶を濁す。いろんな意味で情けない。その当の現場では、なにやらもやもやとしていて、その場で反論もできなかったのでしたが、家に帰る途中、そして帰ってから、そのもやもやの理由が分かって怒りの感情に置き換わっていました。
 ちょっとパブリックな会議の内容なので、詳細を書くことはできないのですが、要するに、へき地医療は誰もやりたくないのだということが、言葉や方向を変えて確認されたのでした。へき地医療は誰もやりたくないのだから自治医大卒業生がそれをやるのは当然の義務である(うん、その通り)。自治医大生がそれを終生やる義務などないのだから早く専門を持ちなさい(現実的にはその通り)。確かに後輩たちの多くはこのようにして昔の僕らとは違う形のキャリアを持つことになるし、それはどうも避けられないことであると、最近は納得もしているのだけれど、なにか大事なことが大きく損なわれているのだ。
 へき地に住む人たち、そこで生涯を終える人たち、そのそれぞれの具体的で個別の人生の困難さへの共感がこれらの議論には欠けているでしょ?いわゆる技術者や科学者としての医師とその人生から発想される議論の展開に僕はきっと回転性のめまいを感じていたのだった。30年たっても結局変わらない。地域医療の専門医を、情熱をもって自ら進んで地域医療を実践し研究する新たな医師たちをつくることの必要性をなんど繰りかえして話したことだったろう。
 それにしても、Dr.F。先日地域医療という言葉の持つ危うさに関して議論したのだったけれど(articulationを参照)、地域医療の専門医というものが、その真性の意味が、損なわれて行くのをみるのはとても嫌なものです。それでも、まだもう少し頑張ろうと思えるのは、いまはばらばらになった仲間たちが、きっと、それぞれの場で持ちこたえようとしているのが分かっているからなんだろうね。いや、これは冗談ではなくて。
 

2010年2月14日日曜日

public health and clinician

 F君は臨床医としての予防活動に興味があるということだから、現実の問題点とこれからの展望を少し話してみるね。僕らが準拠するところの家庭医療では、外来における一人一人の患者さんとの出会いの中で一般的な予防活動を組み入れるのが基本となっていて、例えば、禁煙・節酒や運動のことや、有用だと思われる健診のことを話すということなのだけれど、ある程度は実行できていると思うよ。ただしきちんとした予防活動のレジュメを使っているわけでもないので、あんまりシステマチックとも言えないけれど。この辺は改善の余地があるし、実際改善できそうだね。
 悩ましいのはcommunity oriented primary care(COPC)を考える時なんだ。これは公衆衛生的な視点を導入した地域全体への働きかけを意味するもので、地域医療を行う上では避けて通れないテーマだし、実際に重要なものだと思っているのだけれど、実行はとても難しい。第一にこのような公衆衛生的なテーマは、減塩や肥満解消や自殺対策だったりするのだけれど、保健師さんと保健所の活動領域そのものだから、指揮系統の違いが大きな壁になっているんだよ。臨床医が無視されているわけでは決してないんだけれど、国・県・管轄の保健所そして自治体の保健師さんというラインがとても強固なので、どうしたって保健所経由でものを考えるのが普通だからさ。でも、保健所の所長さんとうまく話合いができればbreakthroughがあるかもしれないとは思うんだ。
 第二点は、ひょっとして、これは納得できないかもしれないことなのだけれど、臨床医の本来の姿勢にぶれをもたらす危険性があることなんだよ。臨床医は患者さんそのものを、その人として理解しようとするものだ、と以前話したよね。ところが公衆衛生的なものを考え始めると、自動的に個人をはなれて抽象的な例数(N)の視点が導入されてしまうんだ。記述的な統計をとるときにはそうなるでしょ?ある計画をたてて結果を評価するときにも、数としてカウントしてしまうしね。意識しない人は気にならないことだけれど、僕らはPCMを基本としているのでちょっと違和感があるんだ。これを解消するための方法がないわけでもなくて、研究するのであれば或いはデータをとるのであれば、一時的に臨床から離れた方が良いということになると思うよ。それにしても予防活動は本当に大切だ。それで、どうだろ。ここで一緒にやらない?

2010年2月8日月曜日

generalist's lullaby

 関東の医学部から地域医療の研修に来てくれたある5年生との会話から。(地域医療に興味がある、とかわいらしくも言ってくれた彼に。)地域医療の専門或いは家庭医療、プライマリケア医、なんでも同じことなのだけれど、敢えてそれを専門ということに戸惑いがあったし、実際、一般の医師からみて地域医療で提供される医療内容そのものは地域医療に特有のものとは思えないものだったんだ。そう、全部各科の基本技術の寄せ集めだよ。僕自身もうんと長い間誤解していたのだけれど、generalistいう種族にはある端的な特徴があって、それこそがその専門性を保証する出発点なのだけれど、つまり、ものごとが患者さんから始まっているんだ。目の前に現れる患者さんたちが語るお話(病の物語といっても良いのだけれど)に対応することから全てが始まるのであって、自分ができることを提供するという一般の医師たちとは方向が逆転しているのさ。そしてバリエーション豊かな患者さんのお話に対応するのに必要なのは専一で高度な技術や知識(それは自由度の少ないものだ)ではなくて、物語を読み込む能力であったり、基本的な技術の無限の組み合わせであったり、流用であったり、時にはなにもしないこであったりするんだ。免疫応答のようだろ?多様のものには、単純なものの多様な組み合わせで対応するというのはとても現実的でもあるんだ。あるいは野生の思考とよばれるものだけれど、キミがこれを十分に論理的だと思えれば、キミはgeneralistだと言えるんだよ。
 訳わかんない?そりゃ、そうだよね。いつかまた僕の話を聞きに遊びにおいでよ。僕はずっとここにいるから。こんなお話をずっとしているから。

2010年1月31日日曜日

clinician×clinician

 先日、H大学医学部4年生の学生さんに地域医療の経験からお話をさせてもらう機会をいただきました。春から初めて病棟実習が始まるこの時期に集中して行われるレクチャーシリーズの1つとして僕が行った講義のタイトルは”初めて医療者の一人として現場に出るキミへー地域医療からの提言ー”というものです。K教授から承ったこのタイトル。うーん、かっこいい。へき地での経験談をベースにして、それを方法として認識していった自分の歴史をお話しながら、最終的にPCM(patient centered method)に至ったというものです。病態生理の時間割の間のあるエアポケットのような授業だったと思います。学生さんご苦労様。しかし、自分を語るようなこの授業に恥ずかしさを感じてもいましたし、あらためて医師とはなんなのかと考えるような時間でもありました。ましてその後の夕食会で5年生のM君とYさんにこの1年の経験を伺っていると、臨床の医師であることの不思議さをますます感じるようでした。
 臨床医とはなにをする者か。Googleのキーワード検索で大方の診断ができてしまうこの時代、ましてガイドラインに準拠した治療をするのであれば、臨床医の仕事はそこにはない。ではどこに?診断は、普通言語の世界の物語を医学の言葉に翻訳しmedical worldの物語(解剖×病理)に変換すること。そして治療はmedical worldの力を普通言語のリアルな世界の力へ翻訳・変換するということ。つまり翻訳者として、臨床医は両方の世界の間にあるのだ。通訳者としての臨床医。そして通訳者の評価が、正確な翻訳が命であるにしても、翻訳されない或いは翻訳できないその行間への身の入れ方や身振りでなされるように、臨床医の評価もなされるだろう。ある世界の間に身を置くということはその当の本人の中にも世界が2つできあがること。ゆれる、とまどう、覚悟する。この不思議な境界が臨床医の住み処なのだということにみんな気づいているだろうか。危険な、けれども魅惑的な世界だ。気づかなければ幸いである。彼は畏れないだろうから。気づいた者は幸いである。彼は不思議な世界をみるだろうから。M君、Yさん、ずっと見ているからね。(変な意味じゃ、ないからね)
 

2010年1月15日金曜日

magic dragon returns.

 これは多分あんまり信じない方がよいような、俄には信じられないような噂なので、このようなブログに記載するのもどうかと思ったのでしたが、あんまり嬉しいのでやっぱり書きます。以前このブログに登場していただいたmagic dragonことN先生の事。liberal artsの情熱と世界の成り立ちの一端を教えて下さった、僕にとっては教授のような方でしたが、ひょっとしたら一緒に働いて下さるかもしれないという話で、初めなんのことか理解できなかったくらい驚きました。さすが、というか、面白い(失礼)というか、非常識というか(ごめん)、かなり刺激的なお話でした。本当に実現したら、これは大変なことだと思います。嬉しい話にはあまりなれていないので取り乱していますが、とりあえず、magic dragon に愛想つかされないように勉強、勉強、と。ああ、嬉し(噂だとしてもね)。

2010年1月7日木曜日

encounter turns out some self-identification

 年が改まって今年は寅年。寅のTではないけれど、先日T先生が代診に来てくれて興味深い話をいろいろ伺っている間に、なんだか少しだけ自分がわかったような気になりました。T先生は家庭医療や医療経済や社会学に興味のある、新進気鋭の女性医師で、活動は主に英国が主体のようなのですが、帰国して時間のあるときには地域支援をしているのだそうです。もう、とにかく明るくて活動的で、会話が楽しくて、ひょうきんな所もあって、誰とでもすぐ仲良くなれるタイプの人でした。それだけで家庭医としての練成度がわかるというものですが、臨床医としてだけでなく、さらにそれをメタの位置で考えてゆく特徴があるようでした。うーん、すごいぞ。
 ところで、そんな彼女と話していて、自分との類似点(たとえば家庭医療が好きなこと)や相違点(たとえば臨床がほぼ全ての僕と、リサーチに興味をいだく彼女)が鮮やかにコントラストをなしているのが見えました。家庭医としての感触の違い、思考のリズム、反応の速度、バックボーンの違い、家族のこと、つまりコンテクストの違いで形成されてきた表現形の相違に軽いめまいを感じていました。そうではないものとしての自分という観点は、あまりには当たり前のことでしたが、重なりながらずれていくそのハウリングは、両者が近いほど大きく聞こえるもので(ギターのチューニングをしたことのある人はよくわかると思うのだけど)、それがおそらくめまい感の原因だったのだと思います。違いが大きすぎる人との出会いはその人が際立ってみえるのだけれど、近い人との出会いは自分への意識が強まる、ということなのかもしれないですね。今年もまたこんな感じでブログを始めます。どうぞよろしく。