2010年9月13日月曜日

communication dive

 季節がようやく秋らしくなったせいか、少しいつもの感じをとりもどしている。渡英の話、或いは若い同僚たちの結婚話もあり、息子の進学や就職のこともあり、今週末は東京出張もあって、やっぱり落ち着かないのはいつものことだけれど・・・そうそう少しいつもの感じ。外来の会話の中に沈潜してゆくときの妙な感覚のこと。最近は、相手の視線のベクトルの中に、自分の視線を飛び込ませて、自分の表情を相手側から想像するという変な作業をしている自分に気づいて驚く。彼の表情の微妙なゆらめきに、自分の表情が同期する、或いはその逆、さらにまたその逆。まるで自分の顔を鏡で見ている時のようにいたたまれなくなってきて、すぐに視線を下方5度ほどそらせては、ではまたいつものお薬を、なんて言っている。なにをやっているんだか・・・コミュニケーションの起源を追体験しているような気もするけれど、なんだか触れてはいけないものに触れているような気もする。或いはこんなことはあんまり普通すぎて、みんな感じないのだろうか。コミュニケーションは考えるほどに難しい。意識する人ほど、難しいのだろう。意識せずにするコミュニケーション、これはまた相当に困難だろうし、そんなのそもそも必要とも思われない。
 外来診療の不思議さや奥深さや恐さを感じつつ、それでもcommunication diveするのだ。そこは多分、家庭医・一般医の住み処だからね。うーん、自分の首をしめている気がする・・
 
 

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