2008年5月25日日曜日

結婚は覚悟でしょ

 先日、研修医のI君たちとの飲み会の席。ほとんど酒の飲めない自分でしたが、その日はI君の奥様も出席されていたので、ほろ酔い気分も手伝って、なんだかそんな話になりました。そう、医師はどうやってその将来を決めるのかということなのですが。
 現在、医師になって2−3年目で将来の方向を決めている人は少ないのではないでしょうか。臨床研修制度が始まる前には、医師免許を取得する前後で医局を選ぶことが将来を決める上で決定的に重要だったと思います。医局が決まれば多くの先輩の例を参考におおよその人生設計までできていたのだと思います。診療科を選ぶということは、疾患ベースのパラダイムの中にあって種類を選ぶということですから、いずれを選んでも価値観に動揺はないはずです。
 ところが、地域・家庭医療に進むとなると話は違います。パラダイムが違うので価値観が違う。既存のパラダイムの人たちには認められなくて寂しいし、包括性や物語性の中で活動する医師には多くに技術とともに多様性に対応する柔軟性も求められるのです。うーん、難しそう。だけどね、ここでようやく結婚の話にもどると、つまりそれを選ぶと言うことはその価値に惚れるということで、できる・できないの話ではなく、やるか・やらないかの覚悟の問題ということになるのでした。結婚する女性は、実家を捨て、名字をすて、生まれ故郷を捨て、友人を捨てて嫁いでくるのだから、男の僕らは太刀打ちできないくらいすごい度胸をもっているということなのだぜ。

2008年5月8日木曜日

よい臨床医になりたいです

息を引き取った方、その周りに集まるご家族。50歳となり、僕自身の感情の動揺が大きくなっている。とてもとても若い医師のころ、疾患・病態の理解やそれに立ち向かうことの訓練に明け暮れていたころ、死に立ち会っても僕は本当に泣くなんてことはなかった。そうだ、医師は科学者なのだからいつも冷静にあるべきだ。感情的になってはいけない、となんとなく知ったような台詞をつぶやいてもいたが、真相は今にして思えば違っていた。僕は本当に悲しくなかったのだから。自分の冷淡さを、都合の良い、みるからに取って付けたような台詞で覆い隠していただけなのだと思う。この中年と呼ばれる年齢で、子供たちが成長し、妻と再び二人きりになり、お互いの老いと死を感じるようになり、尾駮沼の鳥に永遠の影を感じたり、星が瞬いたり、ロマンチックなんだか、センチメンタルなんだか、誇大妄想なんだか、馬鹿なんだか。これからもっと勉強して、良い臨床医になりたいです。