2009年12月17日木曜日

snow view, déjà-vu

 とてもさらさらとした細やかな雪が、それは強い寒気の中で短時間に生成された粉雪だから、髪にまとわりつくのでもなく、合繊の防寒着にかすかな音をたてながら、村に降りそそいでいる。この季節になればあたりまえのありふれた様態に、わけもなく多くの記憶が重なってゆく時は、白い吐息にもなにかのささやきが混じるようだ。ベルグソンの言うように記憶は体に宿るものならば、この感慨も、記憶の再生というのに等しいのだろう。小学生のころ、あの街角で粉雪の頃に兄とともに走って駄菓子屋さんの小さなショーウィンドウに置かれていた小さなデコレーションケーキを見に行ったこと。高校生の頃大晦日の夜、一人でお寺の境内まで歩いていった時にみた粉雪がたき火に照らされて、まるで桜の花びらのようだったこと。子供たちと息を切らせてそりレースをしたときに降っていた粉雪のこと、彼らの紅潮した頬。
 雪は幻想的である。この眩暈をともなうような既視感や、時間の壁が消失したような不思議な感覚は、ちょっとした村上春樹の世界のようだ。という訳で、この雪の世界で行う医療や研修というのは、けっこう楽しいということの宣伝になっているだろうか(・・・今後もしつこく、地味に、雪国研修キャンペーンを継続する予定)。ちなみに、さっきの眩暈をともなう既視感というのは、精神運動発作ということではないですからね、念のため。

2009年12月13日日曜日

articulation

 分節すること、発音すること。ある事象をその背景からある言葉で取り出すことで、新しい事象として確定され、背景はそれと違うものと認識されるに至る。世界が生まれるということだ。光が闇との対として生まれるように。
 昨日地域医療に関する会議の中でDr.Fが語ったことは、そのようなことであった。総合という言葉でidentifyする自分は、専門という世界から新たに分離されて輝くようになるのだけれど、これは僕らの望むとことであったのだけれど、そこには選別が生まれ、専門の世界の人はさらに総合の世界から離れてゆくのだという。総合の優れた医師は本来どこでも必要とされていたものだから、それが認識されたとたんに、総合医への過重負担が発生してしまう。医師数の不足よりももっと問題なのは、本来必要とされる医師、総合的な医師があまりに不足していることだ、とDr.Fの経験が語っている。H大学のK教授の視点も実は同じようなところにある。地域枠として入学する医学生を、それとして区別することに大きなリスクを見て取っているのだ。現実をまっとうに見る人たちは同じような意見に到達するという見本のようだ。
 家庭医/総合医を増やすことは1つの解決策ではあるけれど、確かに地域医療や地域枠という言葉で切り取られた世界にさらされてしまうというpressureを生き抜くのは簡単ではない。自治医大の経験に即して考えれば、それは異質なもの特別なものとして区別されることに近いのであった。しかしながら一度発語された言葉は、世界を分けてしまうものだから、いまさら消去することもできないだろう。一方でそれが言葉として認識されているのなら言語学の知識を援用できるかもしれない。つまり言葉の意味は文脈の中で事後的に確定される。考えてみれば、地域医療という言葉は、それを話す人が文脈に応じて使い分けてきたというのが実情であった。そのために地域医療の定義が混乱していると言われてきたのだしね。ならばそれでよい。そして、その言葉の持つ根源或はボトムラインはこうなるだろう、”病む人への共感”。ありきたりだろうか。しかしどうやら、僕ら自治医大生の卒業生が現場の中で獲得したものは、こういうことだったのではなかったろうか。

2009年12月7日月曜日

bud in tree

 こずえの先に突如現れた新芽をみるようだった。今まさに冬が始まるこの時期なのに、人間の感性というのは不思議なもので、ある人の行動1つで気分はもう春なのだから。本当にはかない梢であるにしても、それは天空をさしてのびているのだし、こずえの中枢側からみれば、その新芽は太陽の中でまぶしく反射して目がくらむほどだ。大げさな表現を今日は(今日も?)許してもらいたい。たまには、良いこともあるものだ。ぬか喜びにならぬようにと後輩に釘もさされているけれど、今はとりあえずいいんじゃない?楽しいんだし。(とても個人的な話なので理解できないと思います。すまない。)

2009年12月5日土曜日

open the channel , catch the pace

 簡単なようで難しいコミュニケーション。診察室に入っていきなり演技的なほどの具合の悪さを発散させる人に、うまく同調できずにとげとげしい雰囲気になってしまうケースについての検討会の話。
 普段なにげなく行っている外来診療は、ほぼその全ての工程がコミュニケーションでなりたっているということを以前説明したと思う。ちょっと復習すると、外来診療の構造には3つのパターンがありA(acute)B(basic)C(chronic)に分けられる。このパターンを認識することで、今、自分が、何をしているのか或いはどんな方向を目指しているのかがわかるので、外来を始めたばかりの人たちには有用ということだったよね。しかし、だからといってよいコミュニケーションができるこのと保証にはなりません。物語をたどり、共感を得ることが重要というのは間違いではないのだけれど、多分もっと基本的で、考え方というよりは身体的な対応の仕方が大切だったのかもしれないんだ。
 会話は始めるには相手に、会話を始めてもらって良いというシグナルを送る必要があるので、例えば電話でも”もしもし”には”もしもし”だし、普段の会話でも”おはよう”には”おはよう”という具合に、今回のケースで言えば”具合の悪いことをおもいっきりアピールしている仕草”には”具合が本当に悪そうですね。”と返すことでコミュニケーションのchannelが開かれたかもしれないし、”早くなんとか処置を”というアップテンポの雰囲気にはアップテンポで対応するというのが良かったのかもしれないね。僕がうまくできるといっているわけでもないんだけれど、これはNLPという心理療法が教えるコミュニケーション技法の1つでもあるらしいんだ。もちろん診断をきちんとすることは重要なのだけれど、経験が教えるところでは、コミュニケーションエラーは診断を誤る大きな要因にもなっているのだからね。自戒の念をこめて。

2009年12月3日木曜日

being radical to break the frame

 ”現場において、それを行い続けているのには特有の起源と理由があるのだから、いきなり否定するのは乱暴である”と、僕はこのように言ったのだった。こういう言い方自体はそれなりの理屈を付与することはできるのだけれど(なんでも理屈はつけれるものだし)、若手の医師に指摘されたことに動揺して放った苦し紛れの言い訳にも聞こえる。うん、多分両方あるのだけれど、大人ぶったその言い方が気に食わない。自分で汚してしまった悲しみに降り積もる雪は冷たいな。
 結局のところ、重要なのはその動揺をきちんと自覚的に検討できるかどうかということなのだ。動揺するのは、もともとそのことが、自分に動揺をあたえるような不安定なレベルのものであって、潜在意識として継続されていたということなのだ。さらに、起源にもどって考えるという動作は、勢いで言ったにしろ、きっと有効だろうし、違ったであろう未来に出会うために必要な所作に違いない。これこそradicalという言葉の本来の意味なのだし、かたくなな自分を変える有効なあり方の一つかもしれない。

2009年11月24日火曜日

tenderness, gravity of love

 そのような感覚。弱さ、儚(はかな)さに心が引かれてゆくこと。遠景に消えつつあるような、手からなにかが離れてゆくような、そのような失うことの予感が心を波立たせているようだ。久しぶりに会った自分の子供(もう成人しているのだけれど)のなにげない仕草や言葉にそれを感じて、大声で泣いてしまいたくなっていた。若いころのような星屑の涙はもう求めるべくもないけれど、重力に引かれたものができるのは、せいぜいそれくらいのことだ。そうでなければ抱きしめるしかないではないか。きっと、親父やめろ、というのに決まっているけれど。
 外来診療における共感。僕はnarrative driveという名をつけたのだけれど、儚さに引かれて発生するこの力は多分humanityとかloveとかというものに近いのかもしれない。・・・なんにでも屁理屈つけるのは悪い癖だ。それにとりあえず、泣くのはみっともないことだ。今回はちょっとあぶなかった。

2009年11月13日金曜日

bitter pain, sweet pain

 手当という言葉。きっとそれは、実際に痛いところに手をあててさするような動作から来ているのだろうと思う。自分で痛めた場所を自分の手でさすっているのだし、その効果はgate theoryからも確かめられそうです。それにしても、子供にとって、母の手当に勝るものは(多分)ないし、僕ら大人にしてみても、優しい触り方と言葉がどれほどの救いをもたらすかは議論の余地がないほどのことでしょう。
 実は研修医のMさんの仕草を見ていて、”手当”のことを思ったのでした。相手を気遣うものの言い方、やさしい仕草で、リウマチを煩うTさんの表情がみるみる和らいでいくのがわかりました。うーん、すごい。Tさんと18年も付き合いのある僕はまるで木偶の坊のように傍らにおり、”じゃ、また”などど言っている始末。同じ痛みが、同じ原因/同じ病態生理であったとしても、たった一人の暗い部屋で感じるそれは、きっと魂にもつきささっているし、それが日常であれば、きっとその人は長生きなんかできないだろう。ただ手当の優しさこそが深いところでその人を救うのではないか。Mさんを見て本当にそう思う。GP/FPを語る僕は、実はただの子供であり、語らずに実践する若い人に、絶望的な成熟を感じてしまいました。とりあえず、が、頑張るんだ、俺。

2009年10月31日土曜日

miracle apples

 『奇跡のりんご』、読みました。無農薬りんごの誕生を夢見て、ついに現実のものとした津軽の男の話。ひたすらの、物狂いの、家族を巻き込んだ壮絶な半生から見えた世界は、虫と土と空と風が人とともにあり、リンゴとともにある、果てしないダイナミックな関係性の世界でした。存在は関係性の中にあり、境界はまぼろしのようだ。この人間の体自体が、外界と腸管の中で溶け合いながら連続してゆくことを思えば、なんとも不思議なこの命であることか。自己とはなにか。他とは誰のことか。まるで仏教の語りを聴いているような感触。
 地域医療の中に、どうやら、同じようなものを感じている自分なのですが、こんな風に生きることは恐ろしい。せめて、自分の小ささや力のなさを素直に認めて歩いてゆこうと思う。関係性の風を感じながら歩いてゆこうと思う。miracle apples、どんな味がするのだろう。
 

2009年10月24日土曜日

here comes a clown

 clownってご存知だろうか。道化師さんのことなのですが、昨日、尾駮診療所で行った”認知症とコミュニティーヘルスケア研究会”という奇妙なタイトルの会にお招きしたのでした。保健、医療と福祉のスタッフとその関係者を対象にしたもので、communicationを主なテーマにしています。認知症自体がcommunity(家庭と地域社会)とcommunicationの病(やまい)なのだという視点から始めた今回が2回目のものすごくローカルな研究会です。
 研究会の前に村の介護施設にいる認知症の方々と現場でclownさんたちがコンタクトする。その様子をビデオにおさめて、研究会で討論する、という形式でした。なぜ、そのような言葉を発したか?なぜウクレレを触ってもらったのか?なぜ、その人との会話がはじまったのか?その場で、その人が発するなんらかの意図に反応するその自分に反応するその人にまた反応する。認知症の進んだ人こそが、言葉や社会の枠をこえた素の人間として対応できるのだと。自在。そして感応から始まる絶対的な遅れの自覚。人間への信頼。
 よく似ている。外来のあるいは医療や介護の現場そのものの、たゆたうようなその場その場の一瞬の判断と反応が連なる様子は、まるで即興音楽のようだ。どちらが決めるわけではないが、両者がいなければ、形成し得ないもの。しかも周囲の状況が変われば、あるいは天候が悪いということでさえ、同一の局面は二度と現れることはない。はかなく永遠なもの。
 とても不思議なよい研究会でした(自画自賛・・・)。僕はといえば、お話を聴いていて、息子たちの小さいころの様子とそこにいたはずの若い自分を思い出していたのだけれど。なぜだったろう。
 

2009年10月14日水曜日

self conscience, jazz session,relationship

 検査したり、検査しなかったり、治療したりしなかったり、診察したり診察さえしなかったり、つまりはなんでもありということなんだ。ただ家庭医/一般医が、多分、ほかの医師と違うところは、多くの選択肢のあることとそれが患者さんとの関係性の中でゆらぎ、選択されるということに自覚的であるということだと思うよ。関係性をコアに置くということは、自分の特性や性格、偏りにも自覚的である必要があるのだけれど、これは意外に難しいんだよ。なんたって生身の人間なので、調子が悪ければ不機嫌になったりするし、相性の悪い人だっているわけだしね。いつも診断理論やPCMの話をrigidなものとして説明しているけれど、瞬間瞬間の関係の中でゆらぐというところはなかなか説明が難しい。結果的には筋道の通ったような外来セッションのように見えるとしても、それは事後的に構成された、後付け的な説明になっていることの方が多いのだしね。病院で行われる専門治療は、決められた方針を、もちろんある程度のゆらぎはあるにしても、完遂するところに特徴があるけれど、プライマリの診療は、ある意味ジャズセッションのような不思議なゆらぎこそ命なんだ。(研修医Tさんとの会話から)

2009年10月6日火曜日

who needs GP/FP?

 尾駮診療所に地域研修に来てくれているTさんもかつて総合診療に興味があったのだそうです。教授にそのキャリアの難しさを指摘されて断念した経緯あり。そんな人の迷いに答えるべく家庭医専門性が立ち上がり、プライマリケア3学会が合同し、内部での盛り上がりは近年に例をみないほどなのですが、一般の方たちからは口に上らないGP/FP(GP;general practicioner 一般医 FP;family physician 家庭医)。超高齢化社会の日本では、多くの疾病とともに生きる人の数は必然的に世界一なわけで、社会資本としての医療を考えるなら、GP/FPの必要性と重要性は説明するまでもないのですが、現実の世の中では全くその動きがありません。提供する側がいきりたっても、提供される側にその気がない。これほどよいものなのに、それを欲しない方がおかしい、という言い方は常識的にみておかしい。いくら良い商品でも、それを欲望しない集団には価値がないという一般論があたりまえに通用してしまうのだし。
 とろこでそういう人たちの欲望の形式は、やはりラカンのいう、他人の欲望を欲望するということなのであれば、皆の視線の集まるであろう人たちがGP/FPを切に欲望する、という状況が必要だろうと思う。そのPRを誰にお願いするかという問題はあるけれど、それが空虚なプロガバンダで終わらないためには、実力でその魅力が理解されるような、しびれるようなGP/FPの出現が不可欠だ。さて、本日も勉強、勉強。

2009年9月28日月曜日

a dream touched by 小林秀雄

 昨日見た夢の話。夢の中の僕は、その大いなる発見に興奮しつつこう言う。そうだ、すべては関係性の中で決められているのだ。例えばこの関節痛にしてみても、この関節とかかわる情勢と本人との関係の中で現れるのであって、それを考慮しないのは論外である。そして見たまえ、こういう言葉でさえ僕のものとは思われないということ、この姿形さえinteractionの中のものであることは明らかではないか。それは魂と現実の中で交差するある現象なのだ。君と僕との交流さえ信じられないくらいの条件の中で起こった奇跡の1つ、あるいはありふれた偶然だ・・・夢の中では、なんだかものすごく納得して、感激もしていたのだけれど、だからなんだと言われると、あたりまえのような気がする。うーむ。
 
 寝る前に小林秀雄の講演をCDで聴いていたせいかもしれない。いや、多分そうだ、なんたってミーハーだから。

2009年9月24日木曜日

the place where our mission lives

 先日、母校自治医大で地域医療フォーラムという500人規模の会合がありました。学生さん、卒業生をはじめ、いままで自治医大に関係したいただいた方も含めているので、卒業生をメインにした集まりとしては最大規模だったと思います。青森県の学生さんたちも10名ほど参加。彼らに感想を聞いてみました。
 要約すれば2点。話の内容があまり理解できないこと、それでも卒業生たちの熱心さが伝わったこと。地域医療のシステム、拠点病院の話、地域における研究の話、地域枠学生との連携。いずれも現場ではリアルなものでしたが、まあ、学生時代には考えないよなあ。それにしても卒業生たちの熱心さはなんだったのか?もう50歳を超えたような人たちが、へき地診療所が閉鎖されて自分が都市部の病院に勤務していることの違和感を、とつとつと述べている、その素直さに感動しました。そうだよ、僕らはそのような医師として生まれたはずだった。会場の誰も異議を唱えない、唱える訳がない。missionはこのようにして地方にいる卒業生の中に受け継がれているのだから。母校は変わったのか?あるいははじめからこのようであったのか。missionがただのお題目となった我が母校は生き残れるのだろうか。
 卒業生が自ら作成した校歌を、力の限り歌う。”医療の谷間に灯をともす”、”ともに進まん医の道を”と。胸が痛い。拍手しないでくれ。

2009年9月17日木曜日

falling snow

 今週はいろいろな所から診療支援に来ていただいてます。スタッフの休みをカバーするためにお願いしたのでしたが、東京や仙台から駆けつけてくれた彼らに感謝しています。それにしても昨日は研修医3名、僕、1週間の応援医師、当直代診の医師と総6名となり、なんとなくインフレ状態というある意味贅沢な状況となりました。これが皆スタッフメンバーであったらどんなに良いことか、と思いつつ夜の歓迎会に突入したのでした。
 この3年間でお会いした多くの研修医の人たちがこちらで働くのには大きな壁があるのだそうな。いわく雪がなあ、と。2−3年の期間であっても同じ条件なら、関東あるいは南国を選ぶのだそうで、まあ、わからないでもないか。雪だものね。それではその対策は、というと、条件や給料という月並みな対応では十分ではなく、かといって地域医療の研究と実践という学術性で押すには知名度が低すぎて、実績がなさすぎて、なにもないからこそ研究だ、君が主役だ、といっても丸投げと言われそうだし。
 ・・・雪は本当に美しいよ。降りしきる雪の中で一人歩くことの愉悦を、屹立した存在だけになったような不思議な感覚を、他者へのあこがれを、どうやって伝えよう。雪は地域医療の真意を静かに教えてくれるのだ。啓示としての雪、というお話。

PS:鍋も良いよ。
 

2009年9月11日金曜日

a firefly

 先日久しぶりにH大学出身のKさんからのメールが届いた。ある地域の有名な病院で研修中に、東南アジアでの体験実習に参加した時のスナップ写真が添付されていました。うーん、相変わらず元気そうでなにより。子供たちと一緒の写真、日本人かと間違えるようなおばさんたちとの診療風景、なかなか暑そうな雰囲気が伝わってくる。六カ所村で見た吹雪の中で送迎バスを待つおばあさんたちのことを思い出したとのことでした。自分の中にある、意識の下にある、ある重要な感覚がよみがえって驚いたのだと思う。それで、メールをくれたのだよね。あんまり急なことだったので、体調が悪いのかとちょっと心配もしたのだけれど(おじさんだから)。
 メールありがとう。地域医療の、あるいは寄り添うものとしての医療の意味に共振して明滅する蛍を見ているような気がしました。いつかまた会いましょう。

2009年9月5日土曜日

my sweet lover

親愛なる人。僕がもしも、いわゆる若年型アルツハイマー病だったとしたら、君はどうするだろうか。君はもともと体が弱くて、どちらかと言えば僕が支えてきたのだけれど、そのような僕ではなくなってしまうのかもしれない。自分が壊れてゆきつつあることを自覚するのは、想像以上の不安と恐怖だ。愛する人よ、僕はこわれつつあるのだ。輝くようなあの思い出をたぐり寄せれば、あのときのような僕ではあるのだけれど、口笛を吹けば、あの時の口笛と呼応するのだけれど。まるで時を超えたやまびこのようだ、そう、過去に閉じるようなこの感覚が不思議で、とても愛おしい。目の前の事象は、あまりにせわしなく、僕を息苦しくさせる。親愛なる人よ。僕のそばにいてください。手を握っていてください。(あるご夫婦の逸話から)
 僕はこの村の医師としてなにができるのだろうか。僕ら夫婦にとっても、まるで他人事ではないのだけれど。

2009年8月31日月曜日

a magic dragon talks about the world under sea

 先日、I市民病院のN先生が尾駮診療所にやってきた。K君(イニシャルトークですまない)からは”とても面白い”人物であるという情報がすでにあり、とても楽しみにしておりました。臨床を一時中断していた時期になんと彼は一般大学に再入学して息子さんと同じ年代の人たちと学んでいたのだそうな。そしてアメリカ留学の話、フランスでの話、亡命者の話、格差そのものの世界の話、なによりliberal artsの真の姿。その他僕らの知らない世の中の実相を彼は語るのでありました。すごい、すごすぎるぜmagic dragon! あの海の底にはそんなとんでもない世界が広がっていたとは・・・N先生はご自分のことを変わり者ですから、と総括していましたが、大きな海の世界からみたら、こんな狭い陸地に生息している僕らのほうこそ奇妙な生物のようです。
 ちなみにmagic dragonことN先生は、それこそ歌詞のごとくに、そっと六カ所村から帰られたのでした。K君、確かに面白すぎだよ。

2009年8月24日月曜日

too little mourning

 京都のプライマリ・ケア学会に行ってきました。かつて短期研修に来てくれたS君夫婦とも久しぶりに会えてとてもよい学会でした(、ってこれだけ?)。総会では方向性の類似した三学会(プライマリケア学会、家庭医療学会、総合診療学会)が合同して1つの学会になることが決議されました。これは時の趨勢であって、その目的とするところからも歓迎されてよいと思いましたが、総会の中、ただ一人反対を表明していたA先生のお話が耳に残ります。
 どうして、歴史あるプライマリケア学会をなくす必要があるのか。新しい連携の手法を使えば目的は果たせるのではないか、大学の学者ならそんなことくらい知っているだろう、いや、むしろ合同することで、理念が十分に発揮できなくなるのではないか・・・まるで怒ったような、泣いているような、切ないような語り口で。合同を推進する人々は勢いを駆ってその正当性で反論するのでしたが、なにかズレているようで。拍手があったりして。
 おそらく嘆き悲しみが足りない、或いは、追悼がない。時間をかけてその無念を、心残りを聴かなければならないはずのものだったのに、と思う。弔いが足りない。鬼がでなければよいけれど。

2009年8月12日水曜日

to live with you

 半年ぶりで外来を受診した二人暮らしのご夫婦のこと。脳卒中の後遺症のため認知機能は低下し右半身不随の夫。胆嚢炎を煩って後方病院に紹介、その後老健施設を利用して療養を続け、2件目の施設でのこと。入所して1週間、おしりに小さな浅い床ずれができたのだったー妻は激怒したという。お金を払っているのに!という捨て台詞とともに、妻とその夫は村に帰ってきた、という話をケアマネさんから聞いていた。ケアマネさんは施設入所が困難な現在に入所できそうだった”幸せな将来”を棒にふったような妻の強い姿勢に”世間知らず”の若者をとがめるような口調で、どこまでやれるか自分で試してもらいましょう、と。外来でみるお二人は、夫が少し痩せた以外は以前のようになごやかであった。あまりにも床ずれは軽症であった。なんかいろいろ大変だったみたいだね、と話をふる。職員のあいまいな態度や食事時間の遅すぎること、けいれん予防の薬が出されておらず、しかもそれを尋ねると、精神科医の診察が必要だから判断できないという話になる、ずっと車いすですわりっぱなしで放置されている、そしたらあっという間に床ずれができた、と。職員には強く言えなかったので、親戚に相談して電話で文句を言った。みんなで圧力をかけた、と。
 僕は当たり前だと思った。感情失禁で失語の夫、しかも認知症が進行して十分な理解もできない、まるで子供になってしまったような夫が”痛い”といって泣いたというのだ。床ずれは、彼女が疑ったその施設の”悪い物語”の最終証明だった。彼女の激怒は夫の代わりなのだ。いままで2人で生きてきたプライドをかけた異議申し立てだったのだ。ケアの現場スタッフの困難さを知らないわけではない。ケアマネさんのいう現実も。それでも二人が二人で生きて行くことを選んだのなら、道は開かれるだろう・・・池に放り込まれた小石のようなメッセージ。僕らはこの小さな波紋を地域に広げなければならない。最後まで一緒いたい二人は、僕らの将来の姿でもあるはずだろう。

2009年8月10日月曜日

imaginary number

 先日科学雑誌ニュートンの別冊に虚数の特集号があり購入。高校で習った数学でも確かにあったような気がするのだけれど、なんだかずっと引っかかっていたようで、”虚数”という文字を見て速攻で買ってしまいました。そうか英語ではimaginary numberというのか。それで略号が” i "なのだったか。想像上の数ということで、目で見ることはもちろんできないけれど(それはゼロでも負の数でも同じことである、とも書いていました)、それを導入することで、いままでの概念を包括する新しい視点を獲得できるのだそうです。個々の事象の背景にあるより大きなシステムを関知するには、通常とは別のなにかを導入する必要があるのかもしれないですね。imaginary numberは、いわば高次元をみるために仮想されたシステムの別名であったと言えるかもしれません。
 ここで地域医療の方法といういつもの台詞を持ってくるのは、なんだか余計な感じもするのですが、例によって強引に言ってしまえば、そのような高次元の視点の導入と、それに導かれる実践こそが新しい地平を開くものだと思います。かつて見ていた風景が、異なる光と影のもとで、異なる風の音の中で、再生を開始するようなもの。そういったものとしての地域医療の方法なのだと、複素平面をみながら思った一日でした。ちなみに携帯電話も虚数の導入がなければ実現できなかったのだそうです(うーん、よくわからんけど)。地域医療の方法の実践の中でこれからどんなものが生み出されるのか、とても楽しみです。

2009年8月6日木曜日

resident addiction

 それがなければフラストレーションが昂じて落ち着きがなくなり、それによってその状態が解消されることをaddictionと呼ぶならば、きっと僕らの診療所(の医師他数名)は研修医addictionである。研修医のいない期間のカレンダーを横目で眺め、ため息混じりに”どうしようか?”なんて言いながら、他の施設から研修医を横流し(失礼)してもらえないかななどど話している。横流し作戦を決行するための姑息な手段を口にしては、おいおい、それは人間としてどうなんだ?という会話がなされるのは、やはりどうも変である。
 研修の内容自体はそんな突飛なものでもなく、ありふれたものに違いない。ただ、地域医療の方法という言葉を頼りに、自分を或いは自分たちを語り続けているうちに、この”語る”というところで、必然的に聴衆の存在が求められるようになったのではないか、と思います。その語る自分自体が、毎回語りつつ変容してしまうのですから、確固とした自分があるとも思われません。このあたりに、どうも語ることの秘密や魔力があるような気がします。それにしても、スケジュールの空いたカレンダーは、ちょっと寂しいよなあ、どうしよう、誰か研修に来ないかなあ・・・(以下、また同じ)。

2009年7月30日木曜日

seashore and mountain( postmodernism)

 美しい海岸線を北へ向かう。波が洗う砂浜の海に向けた境界は定まることはなくて、時間のフレームを重ねれば平均として仮想できるけれど、むしろダイナミックなinteractionという方が適切だと思う。海と陸との境界における絶え間ないinteraction。仮想される形は、海と陸との関係性の中に生まれる永遠の刹那だから、堅固な、例えば、山のあり方とは異なっている。うーん、当たり前か。
 地域医療の話をしていて、また訳の分からない話で煙に巻くつもりもないのだけれど、その日常のあり方や姿形が僕には砂の海岸線に似ているように感じられる。それは関係性の中から立ち上がるもので、その土地と医師やそこに住む人たちや祖先の霊魂がそれぞれに影響を与え合い、それらの光の色が干渉しあうようなあり方だ。もちろん堅固な山も美しいし、高い山は人を魅了する。これらrigidなものを本質的なものに分類すれば、地域医療は(多分)ポストモダンの枠組みの中で語られることになる。・・・だからどうしたってことでもないのだけれど、地域医療の曰く言い難い魅力を伝えたくて。

2009年7月15日水曜日

diagnosis moves the future of us, therapy looking back on the past

 このような言い方は傲慢のそしりを免れないのだろうな、と思いながらもここに記載するのは、それでも幾ばくかの知見と信じるからなのですが、勢いで話した言葉に自分自身が驚いたというのが正直なところです。外来での診療行為、特に診断することの意味伝えようとして”診断は未来を動かす、或いは未来に向かって人が歩む動因である。翻って治療は過去への回復或いは回帰を目指すものである。”と言っていました。口角泡を飛ばして、相変わらず。
 当たり前のことですが、過去と現在の病歴を伺いながら導きだす結論(診断)は、これからの未来の予想なしには語れません。医師はその予想のもとに治療を開始したり、検査を追加したり、紹介したりということになるのですが、宣言された方もそれに合わせて家族に相談してみたり、お金の工面を考えたり、子供や家族のこれからを考えたりします。そしてそのご家族は、ご家族で・・・外来での診断はこのようにして未来を動かす意味合いでとても重要だ、と言いたかったのでしたが、入院しての治療は過去への復帰を目指すというのは、未来という言葉へのバランス感覚だったかもしれません。入院治療だって、もちろん未来に開いている訳なのですが、治療が目指すのはこのようにはなっていなかった過去の状態だ、という意味です。いずれにしても僕らは未来と、変性をうけた過去としての未来に関与することになります。それにしても、こんなことを知ることで日常世界になにか影響があるのでしょうか?多分、医師の構えが微かにかわるでしょう。おそらく右に1度ほど。

2009年6月26日金曜日

star wars episode 3, synchronized with personal career

 前回はガンダムで今回はstar wars。なにかに例えると伝わりやすいかな、と考えているのでしたが、個人的な経験を語ることの伝わりにくさを乗り越えるために人はよく共通の物語を用いる、と言い換えるとちょっとは高尚な感じになりますね。ユングや村上春樹なんかも・・・
 さて、star warsは全部で6つのエピソードで成り立っています。最初の公開はエピソード4でした。思春期にある主人公skywalkerが敵に襲われジェダイへの道のりが始まるのでした。悪のダースベーダー、可憐なレイヤ姫。当初宇宙を舞台にしたSF戦争くらいにしか思っていなかったのですが、そのSF技術や奇抜な宇宙人との戦いに興奮していました。そして最後のエピソード3.ダースベーダーが主人公の父であり、もとは正義のジェダイであり、愛する妻を救うために、はからずも悪の化身に身を落とすことになったことが判明します。円環構造は閉じ、10年以上を費やして完成した映画が幕を閉じました。うーん、よかった。いままでみたいろいろなシーンの意味がはじめて理解され、すべてが繋がった感覚でした。
 自分の経歴の中で、そんな感覚を最近感じるようになりました。地域医療の研修にここまで来てくれる若い学生や医師にPCM(patient-centered method;患者中心の医療の方法)と地域アプローチを語る中で、およそ25年前、医師3年目の自分が、津軽半島の小さな村の一人診療所で過ごしたあの日々の一々の意味をようやく理解した感じになるのです。物語が全貌をその物語を過ごしてきた当の本人に語りかけるという二重構造。さらにそれを若い人に語りかけるという事態を、25年前の僕には想像すらできなかったなあ。若い方たち、聴いてくれてありがとう。ちなみに女房にもよく言われます、”研修医の人たちに聴いてもらってありがたいと思いなさいよ。”って。全てお見通しってわけです。

2009年6月17日水曜日

human souls, attracted by the gravity of the earth

 ガンダムを知るあたなにはこの台詞に未来(;とき、と発音)の涙が見えるかもしれない。この英訳がその真意を伝えらかどうかはきわどいところだけれど、地域医療に青春をかけてしまう或いはかけてしまったあなたにちょっとだけ語りたいと思います。今日お昼休みに”総合医の”由来を学生のS君たちに説明していて頭に浮かんだシャー・アズナブルの台詞だったのですが。
 そもそも”総合医”という言葉は自治医大の卒業生たちが、その実践と経験に自らが与えた名前であって、大学の教授たちは関係していないだろうこと(このブログ内”自治医科大学の冒険”を参照)。本大学のある県の卒業生は誰も地域医療学教室ー総合医養成の総本山らしいーに所属していないこと。地元に大学医学部があることろでは、おそらく専門医療の引力が強すぎて地域医療の真意や方法を考えるなんてことはないのだし、ましてや地域医療に青春をかけるなんてのはあり得ない話。そう、ここで重力が出てきます。地球の重力に魂を引き寄せられるものたちとspace colonyで生まれ育ったものたちの決定的な違いがこころにある。母なる地球の重力はそれはもう当たり前の大前提であって、存在も価値も全て負っているのである。なにが問題か?問題はない、この地球の上では。しかし地球の重力を逸脱したところに生まれる新しい魂の象徴としてnew typeとガンダムシリーズで呼んでいたものに僕らは共感する。たんにspace colony生まれではない、革新としてあるものであり、同時に本来の姿を表すもの。うーん、かっこよすぎるシャーの真似は結構プレッシャーがあるけれども、ああ、また自分の首をしめているようだけれど、敢えて言えばそんな地域医療の専門医を目指しています。
・・・つまりね、S君、総合医というのは本当はspace colony生まれの人たちを言うのであって、地球人には十分には理解されないと思うよ。ましてやnew typeはcrazyな圏外の人ということになるね。以上のことをすぐに理解できるあなたは、ちょっと変わった人だと思います。一緒に働きませんか?
 

2009年6月12日金曜日

how to be an ugly adult

僕は確かに”いやな大人にはなりたくない”と思っていたし、いまでもその感覚はあんまり変わっていないんだ。自分の主張も持たずに、ただただ周りにお追従をして、陰で悪口を言う。或いはまるでわかってもいないのに、歴戦の口八丁で自分を正当化しては悦に入ったり逆切れしてみたり、というタイプの大人たちのことなのだけれど、最近は全部が全部意味のない、唾棄すべきものだとも思わなくなった。周囲に合わせることは時にとても重要なことだし、自分の行動を正当化する論理を使えることもたまには必要だものね。いずれも社会的にあるためには大事なことだと思う。誠実さが担保されれば、という厳しい大原則があるにしてもね。それにしても影の悪口や卑怯な手口や過度の自己陶酔は、いまでも十分な嫌悪感をいだかせるのだけれど。僕らが感じていたみにくさというのは物資的なものではなく、その心の現れ方、物欲しげなその感性こそだということだよね。そんなんじゃ生きていけないって?うん。でもそれは生活のこと?生きるという意味の問題は重要だよ。僕らはいつだって生死とともにある職業人だからね。だから、職業人として自分を律するというのは、生死や真善美という類の言葉を目指すものであるし、物欲しげな品性とは正反対な生き方になるはずなんだ。困難な道だけれど、きっとあの頃の僕らは十分理解してくれるはずだよ。大人げないかな。
ーわからないことがあるときに、医師はどのように患者さんに話すのか、という話題から。
 

2009年6月3日水曜日

Dr.F, Dear Dr.F

 どんなことがあってもその道を歩む人たちがいる。もちろん結局のところ、好きでやっているということになるのだけど、どうしてそこまでするのかと不思議な胸騒ぎがしてしまう。使命感、それは大きなの要因の1つだろうと思う。僕がやらなければならない。歯を食いしばり、天を仰いでそうつぶやくシーンが目に浮かぶ。雨が降れば傘もささず、雪の中ではコートもなく。そりゃ、倒れるよ。だけれども、僕の知っているその人は、僕の敬愛する後輩なのだけれど、なんだか少し様子が違っている。信念が固いのは折り紙付きであるにしても、なんだか楽しげな雰囲気がただよっている。周りの人からのほほえみに感応するようにほほえんでいる。混乱の中にあって、新たな胎動に心を通わせている。うーん、すごい。
 ところで、そんな彼に僕自身が反応し、勇気づけられ、また歩きはじめるなんてことが、遠い昔には思いもよらなかった。だって、後輩だよ。本当はぼくが元気づけなきゃならないはずの。しかし、遙か彼方に輝く星からみれば、それは僕らに多分共通したあこがれのメタファーでもあるけれど、多少の年齢差は無視できるくらい小さなものではありますね。Dear Dr.F 貴方がいてくれてよかった。
 

2009年5月24日日曜日

mind as narrative , starlight of the future

 先日臨床心理学のM先生に自分たちの診察の様子を見ていただきました。ちなみに臨床心理士さんたちは、大抵精神病院の中にいて心理テストや心理療法をしていますから、プライマリ・ケアの現場で一緒になにかをするなんてことは普通ありません。以前からPCM(patient-centered method;患者中心の医療の方法)には心理的なアプローチが不可欠だろうと考えていましたので、面識を得たのをきっかけに今回の試みをお願いしたのでした。
 それはもう驚きのレビューでした。いままで2次元平面でみていたものが、まるでいきなり3次元になり、しかも色つきになったような感覚でした。これこれ!絶対これが必要なんだって!心理面の動きを家族とその社会のコンテクストで読み取ろうとする動き、当然それは物語として把握されているのですが、さらに近未来の物語を想定したアプローチが連動します。そう、こういうことをやりたかったんだって!PCMに物語が重要だと自分で言っていたにもかかわらずうまくできていなかったのは、思うに、本人・家族と社会の物語の多様性に対する経験不足というか認識不足(知識不足も)というあたりが原因なのではなかったか、と。
 物語としてとらえることは、心であるところの彼をよりリアルにとらえることになるでしょう。物語は本来的に未来を語るためになされるという話も伺いました、そうだったんだ。

2009年5月22日金曜日

the reason why

 H大学医学生のI君との会話ー理由のある診療をするということは、とても大切なことなのだけれど、多分誤解することも多いこの言い方は少し説明が必要だと思うよ。もうすでにevidenceのことを考えたり、強固な医師の信念を思い描いたりしているでしょ?臨床的には、根拠(evidence)のあることと、それを実施する理由との間には相当大きな、そして決定的な隔たりがあるんだ。PCMではダンスとして例える当のものだし、構造構成主義的には信念対立に深く関係しているものだよ。
 頭痛の人が頭部CT検査を希望しているとして、僕らが科学的と言っている医学推論においては検査が不要だと考えるのは根拠のあることだと思うよね。そしてある医師は検査をしない。一方ある医師は検査をするんだ。それぞれの医師はそれぞれの理由で、検査をやったりやらなかったりするのだけれど、この最後の決断を決定づけるものはなんだい?医師と患者さんとの関係性の中にしか答えはないはずなんだ。患者さんのせいにしてはいけない。evidenceのせいにしてもいけない。その決定は、つまるところあなたがしているのだから、むしろあなたに理由があるのだ。あなたの価値観や人格や、感情や経験がそのままあらわれているところの理由ある診療ということだよ。すべてがキミ自身を表しているということなのだから、心しておこうね。(僕もね・・・)

2009年5月12日火曜日

coming soon is never coming

 かつて見た紙芝居やさんのおじさんは、”またすぐ来るからね”と、僕ら子供たちに確かに話したはずだった。いつまで経っても現れないおじさんを、小銭を握って2−3年も待っただろうか、いつしか忘れてしまったいた。それが深浦町のこと。その後、弘前という街に移り住んだ僕は、なんということか、再びそこの街角で、同じ紙芝居のおじさんに会ったような気がして、嬉しいやら、悔しいやら、大いにおじさんを責めたいと思ったのだけれど、またしてもおじさんは姿を消してしまったのだった。ひょっとしたら空想好きの子供の夢だったのかもと疑ったりするけれど。
 ”また来ますから”、と多くの研修医さんたちが言ってくれるけれど、僕はね、あの紙芝居のおじさんのことで分かってしまっているんだ。そんなの当たり前じゃないか。それなのに、不思議なことに、それでも、いつか本当に会えるかもと、春の宵には信じていたりするのだけれど。うーん、ちょっと疲れているかな。
 

2009年4月25日土曜日

return of the network divers

 地域医療の研修に3ヶ月も来てくれていたK君と医師になりたてのTさんとのディスカッションからー研修全体を通したレビューの中で、どうも尾駮診療所では地域医療と言いながら、いわゆる保健活動や地域活動がないのではないかという従来からの批判があるし、実際K君もそのような活動が少なかったと思っているよね。研修期間中に話してきたのは、PCM(patient-centered method)の意味とそれに連動する地域アプローチのことだったのだけれど、今日は良い機会だからPCM×地域アプローチから見える地域活動の真意と来るべき未来の医師について話しておこう。
 地域活動のある表現が、保健活動の立案や地域ケア会議の主催や或いは地域興しだとするのは間違っていない。けれども、これらがないからといって、医師が地域活動と全く没交渉ということにはならないんだ。順番に話していこう。まず地域の活動とは、そこに関与する人たちがある目的を持って動くということだね。そして人が動くのは実は心が動くということ(目をつぶってみればすぐ分かることだけれど)。さらに心を動かすのは自分以外の誰かの心との共鳴だというのは自明ではないか?そしてこのような共鳴する心の繋がりはその関係する人の数だけ増えていって、ちょうどネットワーク状のシートを形成することになるのだよ。これに医師自身が含まれていると自覚するとなにが起こると思う?地域が自分を含めた人と人とのネットワークで形成されており、医師としての自分の動きや対応で、それが揺らぎ、或いは反動がもたらされ、形状を変えて行くのが想像されるでしょ。例えば介護職の方を一方的に非難したとたん、その人から波及した感情がネットワークを揺らして、場合によっては福祉の連携がぎこちないものになることだってあるんだ。
 さて、K君。この3ヶ月できみが関与した地域でのネットワークを考えてみて下さい。キミの言葉で形状を変える目にはみえないネットワークが確実にあることに気づくでしょう。それが僕の思う地域活動の真意だし、そのネットワークを意識して、それに飛び込み関与しつつ医療活動ができる医師が未来形だと思っているんだよ。network diverって名付けているんだ。僕?いや、まだまだビギナーだよ。まだ未来は僕には訪れていないよ。

2009年4月14日火曜日

dance, dance, dance

 患者中心の医療の方法(PCM;patient-centered  method)を説明するのによく使うメタファーがある。今週来てくれたK病院の研修医のAさんにも用いたそれをdanceの暗喩と個人的に呼んでいます。ある時は野球に例えたり、またある時はジャズ演奏に例えたりと、話す人の興味に関連して変えていましたが、このdanceというのが最もわかりやすいのではないかと思っておるわけです、おっほん。誰?・・・
 もっぱら社交ダンスを想像してみたまえ。ダンスを知らないご婦人と手を取り合って彼女とともに形成するであろう演舞の困難さもまた。合一するベクトルをいかに優雅なものにできるかは、畢竟コミュニケーションにその鍵があるものと思い給え。相手をただ押してはならない。壁にぶつけて傷つけるのが落ちだ。だた押されてもならない。永劫の退却があるだけだ。我々は円を描いて回る必要があるのだ。そしてその力強い演舞を保証するのが足腰の強さであるように、疾患ベースの知識や技術が高度でなくてはならないことも忘れてはならない。
 それでね、Aさん、その足腰を鍛えるのが毎日3〜4時間に及ぶこの検討会というわけなのさ。だから、もうちょっとつきあってね。danceでgo!ってゆうでしょ?言わないか。

2009年4月7日火曜日

a dragonfly in the sky

 一般的な大学の講義ではね、いまにして思えば、標本箱の中にあるトンボの勉強をしていたような気がするんだ。大きさや関節の構造、色彩や柄、羽と体部の比率、眼球の構造などを(多分)勉強したことになるのだけれど、飛んでいるトンボにはどうしても到達できないよね。そもそも天空を滑走するあの自由なトンボをそのものとして観察する方法さえ、僕らは獲得しているとも思えないしね。その流儀で行くと、総合病院や大学病院ではトンボの方から飛び込んで来るのを待っていれば良いのだけれど、地域というフィールドでは全然そんなことはなくて、近づけないことさえあるくらいだよ。さらに調子に乗って言えば、トンボが生きるための生態系だって、僕らGPにはとても重要な関心事だってことになる。あの池を美しくありつづけるための方策、或いは害をなす虫たちが発生しないようにすることだって無関係ではいられないのだ。同時に自分がその自然体系の一部であるということも避けられないでしょ。GP面白いよね!(H大学の学生さんとのお話で使ったトンボの標本の話から)

2009年3月31日火曜日

relationship's equation

 地域医療についてH大学の学生さんたちに説明する時に用いる等式がある。前回のGDTに続いて必ずや(或いはたまには)物議を引き起こすであろうことを書いてみます。考えてみれば臆面もなく授業で使ったりしているし、考えるまでもなく試験にも出したりしているくらいなので、どうどうと書かないと、むしろ学生さんたちに合わす顔がないってもんです。授業で使っているものを少し改変して、もっともらしい形で次のように表します。
community practice
   = ∫ disease × illness × person × context / I(doctor)dp/dt ・・・(1)
  community practiceは地域で行う医療というほどの意味、またdiseaseは疾病を、illnessは病い体験を表します。personはその人の性格も含めた人間特性で時間によって変動するもの、またcontextはその人と繋がりのある人や組織で家庭や会社或いは地域社会との関連項です。分母のIは医師としての自分のこと。ある時点の診療をpとしてその時間の積分がcommunity practiceになるという感じ(表現の仕方が厳密にはまるで間違っているかもしれないです)。さらに略号を用いて見やすくすると、
 CP=∫ D・ Il・ P ・C / I dp/dt ・・・(2)
 この(2)式の右辺をよく見ると、分子が全て分母Iに関係している状態というのがわかります。疾病と医師との関係(知らないものはなにもできない)、病と医師の関係(共感できないものは理解できない)、性格特性と医師の関係(うまが合うとか合わないとか)、取り巻く人や地域との関係(その家族を知っていると行動がかわる)。だから関係性の等式と名付けてみました(relationship's equation)。そして時間の経過で全く異なる医療ができてゆくということ。これは複数の医師がいれば複数の地域の医療が同時に存在するということであり、実はとてもrealなものだとも思います。ややこしや〜、いや、これも当たり前のこと。

2009年3月18日水曜日

general diagnostic theory

 またまた変な造語を英語に置き換えて煙に巻いている訳ではないのですが、こんな言葉になるのかなあ。研修医の先生方とのやりとりの中で結晶化した汎用診断理論(或いは屁理屈)。あえて英語にする理由もないのですが、以前お話していたheart station projectの1つに英国一般医・家庭医との連携を考えているものですから、そのためのほんのささやかな英語練習の一環で、われながら大海に一滴という感じで、ちょっと泣けてきますね。
 さてそのGDT(笑)のこと。結論から言うとあんまりシンプルで当たり前のような気がして、ブログにのせるのもどうかなあとは思いましたが、なんだか、結構研修医の人たちの反応が良いので、書いてみます。診断=障害部位(解剖)×時間経過(病理)この際、障害部位(解剖)は症状をキャラクター分析することで推測し、さらに時間経過を特徴的な病理変化と対応させることで診断名に至るというものです。この方法でゆくと、部位や系統は全く関係なく考察できるようになって便利です。皮膚でも骨格でも、心臓でも肺でも、神経でも精神でも、同じ思考過程になって行きます。当たり前って言えば、当たり前なのだけれど、実際のケースで1つ1つ検討してゆくとその面白さがわかってくるように思います。おお、これこそGPのための診断学だあ!と叫んだのは夢の中でしたけどね。ああ、周りに人がいなくてよかった〜

2009年3月11日水曜日

the left hand, just set softly

 変なタイトルでしょ。今週はB大医学部の卒業生が地域研修に来ています。彼がバスケット部に所属していたというところから話は始まったのですが、ここでもうタイトルの意味が分かった貴方はきっと”スラムダンク”のマニアだと思う。そう安西先生に指導を受け、山王との戦いのクライマックスに花道がつぶやくその台詞!”左手は添えるだけ。”を勝手に英訳してみたものです。知らない方、すみません。
 夕方の検討会でPCM(patient-centered clinical method)を例のようにF先生オリジナルの4分割マトリックスで説明していた時のこと、たまに感じるちょっとした違和感ー簡単に理解できている、あんまり簡単に理解できることに軽い苛立ちを覚えていたのでした。”左手は添えるだけだよ、花道君”と言われて、それは誰でも理解できる簡単なことなのだけれど、流川(主人公・桜木花道のライバル)に花道へのパスを決断させるくらいの信頼を得るために、花道には何万回のシュート練習が必要であったことか。理解できることと自分がプレーヤーとしてなにごとかを成すことは全く別ものであって、playerになるためにはplayするしかない。playerとはplayする人のことだと、tautologyもなんのその、相変わらず脱線続きの夕方検討会でした。
 ”おれはGPですから。”という台詞に反応できるあなたは、きっと”スラムダンク”と地域医療のマニアだと思う。(ちなみにGPはgeneral physicianの略)

2009年3月6日金曜日

confusion, jazz, and primary care

 大変な事態で混乱しています。どうも春から常勤医が一人減ってしまう公算が高くなってしまいました。3人でやりくりしている地域の医療がただ1名の減員で大きく変わってしまうことは予想していたものの、いざ現実化するとなると不思議な感覚になります。悪夢が現実化したような、あれれ、これは夢で見たあれだ!ついに夢に追いつかれてしまったのか!という風に。
 しかし一方で、この混乱を比較的冷静に見ている自分がいることもまた事実で、深呼吸をしてぼうっと空を見上げた時のjazzyな感覚も同時に自覚できるようです。敢えて(やせ我慢ということですね)言えば、これがprimary careの性質であって、混乱と不安定性こそが地域医療の本性であるとも思います。ですから、primary care研修にはもってこいの環境が、敢えて言えば(超やせ我慢ということですが)整うことになりました。来たれ若人。confusion, jazz, and primary careという妙なキャッチフレーズを考えつく僕は、ちょっと、どうかしているでしょうか。大丈夫かなあ。俺。
 追伸:家庭医療・地域医療を目指す医師たちに告ぐ。ハヤクキテクレ。

2009年2月27日金曜日

Hello again

 長期間のご無沙汰でした。アクセスしてくれていた方たちには大変恐縮な事でした。実は昨年12月の末に無痛性左頚部リンパ節腫脹が発覚(女房に指摘されたのでした)。随伴症状もなく、他部位での腫脹もありませんでしたので、まあ、痛みはないのだけれど感染症なんだろな、と全く論理を離れて考えていました。ところが1ヶ月経過しても、抗生剤を服用しても、およそ3cmのリンパ節は縮小することもなく、ついに悪性リンパ腫を覚悟して某総合病院を受診しました。かつて僕のオーベンであった先生に頼んで、当日にほぼ全ての検査を終了。リンパ節生検もその日に手術場で行いました。
 思ったより緊張はなし。心電図のモニター音で心拍60程度で不整のないことを確かめたり、深吸気で心拍が変化するのを確認したりしていると、多少の痛みは織り込み済みの摘出手術は20分程度で終わったのでした。手術担当の先生に肉眼診断を尋ねると、”医師同士ということで率直に言いますが、悪性リンパ腫っぽいですね”とのこと。50%の事前確率はこの時点で90%に跳ね上がり、女房にその旨を説明すると、泣くこと泣くこと・・・。その顔をみて、今度は自分がもらい泣き。妙な感覚、誰が病気なのか一瞬わからなかったのでした。
 死ぬかもなあ50%の確率で。診療所の仕事は?子供たちは?抗ガン剤で髪が抜けたら、何色のかつらがいいかな。iPod買おうかな。好きな本をいっぱい買ってから入院しても、多分読む気力がないのかな。やっぱりマンガが良いか?3日後の大学の講義までに顔の腫れがひけるかな?疾風怒濤。なんだかお祭り騒ぎのようでした。
 その4日後、オーベンより電話あり。”病理診断では悪性リンパ腫ではないようなのだけれど、先生、木村病って知ってる?好酸球によるものらしいのだけど。”知りませんが、とにかく悪性リンパ腫ではないので、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。女房が喜びます、と、日本語が変でしょ!そういうことで、またブログを再開したいと思います。
 

2009年1月9日金曜日

涙もろさの発見

 最近妙に涙もろくなっている。テレビコマーシャルで見かけたシーンー仕事が忙しくて朝ご飯になんとか入りの(なんかの商品です)おにぎりしか用意できなかったお母さんが、まだ4歳位の息子の前に座って言う、”ごめんね。”すると、子供は不思議そうに、”なんで?”という。これだけなのに、涙が溢れてしまう。なにも疑わず、その子にとって太陽のような母の愛情を全身で浴びる息子の仕草と言葉。太陽の暖かさがあれば、ねえ、他になにが必要なのですか?
 自分の息子たちが正月休みに帰郷して、あっという間に帰ってしまったことが影響しているような気がする。それにしてもこのシーンに共感するために、僕には50年という月日が必要だったのかもしれない。ある年齢や経験がなければ体得できない言葉があるのだとしみじみ思う。例えば親子の情、涙もろさ。多分、外来診療のさなか、つかみきれなかった言葉の残骸がただよっているのだろう・・ごめんな、みんな。共感こそが地域医療の方法のコアだと大見得きったものの、それが上手にできないことも同時に知っている自分としては、齢を重なることで発見する言葉との出会いにかすかな望みをかけてます。年をとるのって不思議なもんです。悪くはないです。