2008年9月26日金曜日

いまさらのidentityについて

前回の投稿で気軽にidentityという言葉を使っていましたが、実は恥ずかしながらこの言葉の意味を実感として理解できたのはつい最近のことです。自己認識或いは自己同一性と訳されることが多いこのidentity(語源はラテン語のidentias:同じであること)ですが、精神が自分をそういうものであると認識することは、当たり前のようですが、外部からそのようであると認識されることが同時に必要だろうと思います。自分がそのようであると認識するのは鏡に映る自分を自分と認識することと似ています。そのように見えるものが自分である、ということを完全に把握している状態がなければできそうもありません。その把握の仕方が社会的にも妥当なものでなければ、多分その人の認識は狂人のそれになります。family physician, general practicionerである自分を発見できたのは、多くの仲間とMcWhinneyの教科書のおかげです。同じ考え方、同じ行動の型、同じ感情の向け方を持つそれら医師たちを自分の中に見いだすことが、自分がなにものであるかを教えてくれました。ここまでに25年の年月を要したのでしたが。うーん、長い。長すぎだよ。もう50歳だものね〜
そういえば、これと似たようなことをすでに20年ほども昔に経験していました。そう、息子に”とうさん”(記憶の中では彼が生後10ヶ月くらい)と呼ばれて、自分が父親であることを全身で納得した時のことでした。父として生きて行く覚悟をした時のことでした。

2008年9月24日水曜日

後期研修:地域医療のidentityに関する考察

先日、医師の後期研修説明会に参加しました。医師免許を獲得して最初の2年間は、1つの専門に偏らない医師としての基本的な臨床能力を確保する期間で初期研修と呼ばれています。その後の3年程度は後期研修ということで、おおまかに自分の将来を決めるような専門的な研修が中心になる期間と位置づけられています。私の所属する地域医療振興協会の研修病院は小規模な病院が多いため、総合的な臨床能力が求められます。また自治医科大学の卒業生が多いということで各科による縦割りの弊害はかなり少ないと思います。意図したものではないという意味で自然発生的ではありますが、総合診療を実践するのに適した研修ができます。
ここまではいいのです。この後期研修を受けることで、総合診療・地域医療の道を進むための基礎体力と考察力をつけるということであれば最高に良いのです。問題があるとすれば、やはりidentityに関することだろうと思います。いまだに臓器別の専門医が大多数を占める中、なんでもみること・みようとすることを通して人や地域の役に立つという大きな価値感とともにあることを意識し、またそういうタイプの専門性を持った医師が社会から認められ求められていること(つまりはidentityということですよね)を、これらの研修施設で意識して研修を提供するのでなければ、missionとして成り立たないのではないかと思います。理念こそが人を動かすものだと信じています。その実現のための後期研修を支援する尾駮診療所でありたいです。
 

2008年9月9日火曜日

若い学習者へーきちんと間違うことー

外来で診察をするようになった君。君はなにより診断学を学ばなければならない。基本的な技術はもちろん必要だし、検査が不必要だとは口が裂けてもいわない。患者さんの気持ちに寄り添うこと、身だしなみに気をつけること、はきはきとした受け答えをすること、もちろん全部大切。しかしやはり、処方する薬の名前を覚えるよりも、検査のオーダーを出せるよりも、ちょっと専門用語を使って煙に巻くよりも、知らないことを知ったように言う言葉を覚えるよりも、まずは診断の方法を知る必要がある。例えばきちんと間違うということも、診断学の基本に沿わなければ到底できないことだ。そう、きちんと間違うことさえできないのだ。すべてが行き当たりばったりでは経験とは言えない。思い出にしかならないではないか。いくら難しい症例を総合病院で治療にあたった経験があっても、外来の診断をするには十分ではない。”それはクローン病ではありません”という診断名はない。
25年前の僕へ。君は勉強の仕方が間違っている。外来診療を中心にした場合、もっとも重要なのは診断学だ。それにそった学習の仕方が必要なのだ。仮説ー演繹;時間の解析・解剖の解析・病態生理ー実証の繰り返し、その精度を高めるための一連の行動をこそ医師の学習と言うのだ。反論はいろいろあるだろうけど、25年後の白髪の僕の話は伊達ではないぜ。

2008年9月2日火曜日

ボトムアップの地域医療:その名はBSAP(ビーサップ)

 先日認知症の研修会に参加しました。認知症の方々が地域で長く暮らせるために乗り越えるべき障壁の1つは、データからも経験からも周辺症状と言われる状態です。例えば幻覚や妄想でご主人をせめる。自分の生家に帰ることを繰り返し訴え、外に出て行ってしまう。例えば二度と帰らない、失われた大切な人と幻覚で会話する(・・涙)。
 激烈な症状に対して一般病院でも介護施設でもお手上げのことが多く、そのほとんどは精神科のお世話になっています。精神病棟も余裕があるわけでもなく大抵は強い精神安定剤を使用するのですが、微調整も外来では難しく、結構寝たきりになったりします。認知症の人は増える一方なのに、政府と国の医療対策ときたら、いつまでもトップダウンの紋切り型で、教科書的な知識を講習すればなんとかなると思っているのです、きっと。 
 この研修会は、方向が逆、ボトムアップです。周辺症状への対応を薬剤コントロールのレベルから底上げし、全体の介入を地域の医師と関連スタッフというチームで行うというものです。ここには行政の上から下という流れはありません。個人・ご家族の苦しみへの共感から始まり、医療技術を高いレベルで使用し、その地域のチームで支えてゆく。やがては地域そのものを動かすことになるだろうこの取り組みは、10年前僕らが青森地域医療研究会の設立目的で述べた方法そのものです。その名は、BSAP-BPSD(周辺症状のこと)Support Area Project-。頑張れビーサップ!