訳わかんない?そりゃ、そうだよね。いつかまた僕の話を聞きに遊びにおいでよ。僕はずっとここにいるから。こんなお話をずっとしているから。
2010年2月8日月曜日
generalist's lullaby
関東の医学部から地域医療の研修に来てくれたある5年生との会話から。(地域医療に興味がある、とかわいらしくも言ってくれた彼に。)地域医療の専門或いは家庭医療、プライマリケア医、なんでも同じことなのだけれど、敢えてそれを専門ということに戸惑いがあったし、実際、一般の医師からみて地域医療で提供される医療内容そのものは地域医療に特有のものとは思えないものだったんだ。そう、全部各科の基本技術の寄せ集めだよ。僕自身もうんと長い間誤解していたのだけれど、generalistいう種族にはある端的な特徴があって、それこそがその専門性を保証する出発点なのだけれど、つまり、ものごとが患者さんから始まっているんだ。目の前に現れる患者さんたちが語るお話(病の物語といっても良いのだけれど)に対応することから全てが始まるのであって、自分ができることを提供するという一般の医師たちとは方向が逆転しているのさ。そしてバリエーション豊かな患者さんのお話に対応するのに必要なのは専一で高度な技術や知識(それは自由度の少ないものだ)ではなくて、物語を読み込む能力であったり、基本的な技術の無限の組み合わせであったり、流用であったり、時にはなにもしないこであったりするんだ。免疫応答のようだろ?多様のものには、単純なものの多様な組み合わせで対応するというのはとても現実的でもあるんだ。あるいは野生の思考とよばれるものだけれど、キミがこれを十分に論理的だと思えれば、キミはgeneralistだと言えるんだよ。
2010年1月31日日曜日
clinician×clinician
先日、H大学医学部4年生の学生さんに地域医療の経験からお話をさせてもらう機会をいただきました。春から初めて病棟実習が始まるこの時期に集中して行われるレクチャーシリーズの1つとして僕が行った講義のタイトルは”初めて医療者の一人として現場に出るキミへー地域医療からの提言ー”というものです。K教授から承ったこのタイトル。うーん、かっこいい。へき地での経験談をベースにして、それを方法として認識していった自分の歴史をお話しながら、最終的にPCM(patient centered method)に至ったというものです。病態生理の時間割の間のあるエアポケットのような授業だったと思います。学生さんご苦労様。しかし、自分を語るようなこの授業に恥ずかしさを感じてもいましたし、あらためて医師とはなんなのかと考えるような時間でもありました。ましてその後の夕食会で5年生のM君とYさんにこの1年の経験を伺っていると、臨床の医師であることの不思議さをますます感じるようでした。
臨床医とはなにをする者か。Googleのキーワード検索で大方の診断ができてしまうこの時代、ましてガイドラインに準拠した治療をするのであれば、臨床医の仕事はそこにはない。ではどこに?診断は、普通言語の世界の物語を医学の言葉に翻訳しmedical worldの物語(解剖×病理)に変換すること。そして治療はmedical worldの力を普通言語のリアルな世界の力へ翻訳・変換するということ。つまり翻訳者として、臨床医は両方の世界の間にあるのだ。通訳者としての臨床医。そして通訳者の評価が、正確な翻訳が命であるにしても、翻訳されない或いは翻訳できないその行間への身の入れ方や身振りでなされるように、臨床医の評価もなされるだろう。ある世界の間に身を置くということはその当の本人の中にも世界が2つできあがること。ゆれる、とまどう、覚悟する。この不思議な境界が臨床医の住み処なのだということにみんな気づいているだろうか。危険な、けれども魅惑的な世界だ。気づかなければ幸いである。彼は畏れないだろうから。気づいた者は幸いである。彼は不思議な世界をみるだろうから。M君、Yさん、ずっと見ているからね。(変な意味じゃ、ないからね)
2010年1月15日金曜日
magic dragon returns.
これは多分あんまり信じない方がよいような、俄には信じられないような噂なので、このようなブログに記載するのもどうかと思ったのでしたが、あんまり嬉しいのでやっぱり書きます。以前このブログに登場していただいたmagic dragonことN先生の事。liberal artsの情熱と世界の成り立ちの一端を教えて下さった、僕にとっては教授のような方でしたが、ひょっとしたら一緒に働いて下さるかもしれないという話で、初めなんのことか理解できなかったくらい驚きました。さすが、というか、面白い(失礼)というか、非常識というか(ごめん)、かなり刺激的なお話でした。本当に実現したら、これは大変なことだと思います。嬉しい話にはあまりなれていないので取り乱していますが、とりあえず、magic dragon に愛想つかされないように勉強、勉強、と。ああ、嬉し(噂だとしてもね)。
2010年1月7日木曜日
encounter turns out some self-identification
年が改まって今年は寅年。寅のTではないけれど、先日T先生が代診に来てくれて興味深い話をいろいろ伺っている間に、なんだか少しだけ自分がわかったような気になりました。T先生は家庭医療や医療経済や社会学に興味のある、新進気鋭の女性医師で、活動は主に英国が主体のようなのですが、帰国して時間のあるときには地域支援をしているのだそうです。もう、とにかく明るくて活動的で、会話が楽しくて、ひょうきんな所もあって、誰とでもすぐ仲良くなれるタイプの人でした。それだけで家庭医としての練成度がわかるというものですが、臨床医としてだけでなく、さらにそれをメタの位置で考えてゆく特徴があるようでした。うーん、すごいぞ。
ところで、そんな彼女と話していて、自分との類似点(たとえば家庭医療が好きなこと)や相違点(たとえば臨床がほぼ全ての僕と、リサーチに興味をいだく彼女)が鮮やかにコントラストをなしているのが見えました。家庭医としての感触の違い、思考のリズム、反応の速度、バックボーンの違い、家族のこと、つまりコンテクストの違いで形成されてきた表現形の相違に軽いめまいを感じていました。そうではないものとしての自分という観点は、あまりには当たり前のことでしたが、重なりながらずれていくそのハウリングは、両者が近いほど大きく聞こえるもので(ギターのチューニングをしたことのある人はよくわかると思うのだけど)、それがおそらくめまい感の原因だったのだと思います。違いが大きすぎる人との出会いはその人が際立ってみえるのだけれど、近い人との出会いは自分への意識が強まる、ということなのかもしれないですね。今年もまたこんな感じでブログを始めます。どうぞよろしく。
ところで、そんな彼女と話していて、自分との類似点(たとえば家庭医療が好きなこと)や相違点(たとえば臨床がほぼ全ての僕と、リサーチに興味をいだく彼女)が鮮やかにコントラストをなしているのが見えました。家庭医としての感触の違い、思考のリズム、反応の速度、バックボーンの違い、家族のこと、つまりコンテクストの違いで形成されてきた表現形の相違に軽いめまいを感じていました。そうではないものとしての自分という観点は、あまりには当たり前のことでしたが、重なりながらずれていくそのハウリングは、両者が近いほど大きく聞こえるもので(ギターのチューニングをしたことのある人はよくわかると思うのだけど)、それがおそらくめまい感の原因だったのだと思います。違いが大きすぎる人との出会いはその人が際立ってみえるのだけれど、近い人との出会いは自分への意識が強まる、ということなのかもしれないですね。今年もまたこんな感じでブログを始めます。どうぞよろしく。
2009年12月17日木曜日
snow view, déjà-vu
とてもさらさらとした細やかな雪が、それは強い寒気の中で短時間に生成された粉雪だから、髪にまとわりつくのでもなく、合繊の防寒着にかすかな音をたてながら、村に降りそそいでいる。この季節になればあたりまえのありふれた様態に、わけもなく多くの記憶が重なってゆく時は、白い吐息にもなにかのささやきが混じるようだ。ベルグソンの言うように記憶は体に宿るものならば、この感慨も、記憶の再生というのに等しいのだろう。小学生のころ、あの街角で粉雪の頃に兄とともに走って駄菓子屋さんの小さなショーウィンドウに置かれていた小さなデコレーションケーキを見に行ったこと。高校生の頃大晦日の夜、一人でお寺の境内まで歩いていった時にみた粉雪がたき火に照らされて、まるで桜の花びらのようだったこと。子供たちと息を切らせてそりレースをしたときに降っていた粉雪のこと、彼らの紅潮した頬。
雪は幻想的である。この眩暈をともなうような既視感や、時間の壁が消失したような不思議な感覚は、ちょっとした村上春樹の世界のようだ。という訳で、この雪の世界で行う医療や研修というのは、けっこう楽しいということの宣伝になっているだろうか(・・・今後もしつこく、地味に、雪国研修キャンペーンを継続する予定)。ちなみに、さっきの眩暈をともなう既視感というのは、精神運動発作ということではないですからね、念のため。
雪は幻想的である。この眩暈をともなうような既視感や、時間の壁が消失したような不思議な感覚は、ちょっとした村上春樹の世界のようだ。という訳で、この雪の世界で行う医療や研修というのは、けっこう楽しいということの宣伝になっているだろうか(・・・今後もしつこく、地味に、雪国研修キャンペーンを継続する予定)。ちなみに、さっきの眩暈をともなう既視感というのは、精神運動発作ということではないですからね、念のため。
2009年12月13日日曜日
articulation
分節すること、発音すること。ある事象をその背景からある言葉で取り出すことで、新しい事象として確定され、背景はそれと違うものと認識されるに至る。世界が生まれるということだ。光が闇との対として生まれるように。
昨日地域医療に関する会議の中でDr.Fが語ったことは、そのようなことであった。総合という言葉でidentifyする自分は、専門という世界から新たに分離されて輝くようになるのだけれど、これは僕らの望むとことであったのだけれど、そこには選別が生まれ、専門の世界の人はさらに総合の世界から離れてゆくのだという。総合の優れた医師は本来どこでも必要とされていたものだから、それが認識されたとたんに、総合医への過重負担が発生してしまう。医師数の不足よりももっと問題なのは、本来必要とされる医師、総合的な医師があまりに不足していることだ、とDr.Fの経験が語っている。H大学のK教授の視点も実は同じようなところにある。地域枠として入学する医学生を、それとして区別することに大きなリスクを見て取っているのだ。現実をまっとうに見る人たちは同じような意見に到達するという見本のようだ。
家庭医/総合医を増やすことは1つの解決策ではあるけれど、確かに地域医療や地域枠という言葉で切り取られた世界にさらされてしまうというpressureを生き抜くのは簡単ではない。自治医大の経験に即して考えれば、それは異質なもの特別なものとして区別されることに近いのであった。しかしながら一度発語された言葉は、世界を分けてしまうものだから、いまさら消去することもできないだろう。一方でそれが言葉として認識されているのなら言語学の知識を援用できるかもしれない。つまり言葉の意味は文脈の中で事後的に確定される。考えてみれば、地域医療という言葉は、それを話す人が文脈に応じて使い分けてきたというのが実情であった。そのために地域医療の定義が混乱していると言われてきたのだしね。ならばそれでよい。そして、その言葉の持つ根源或はボトムラインはこうなるだろう、”病む人への共感”。ありきたりだろうか。しかしどうやら、僕ら自治医大生の卒業生が現場の中で獲得したものは、こういうことだったのではなかったろうか。
昨日地域医療に関する会議の中でDr.Fが語ったことは、そのようなことであった。総合という言葉でidentifyする自分は、専門という世界から新たに分離されて輝くようになるのだけれど、これは僕らの望むとことであったのだけれど、そこには選別が生まれ、専門の世界の人はさらに総合の世界から離れてゆくのだという。総合の優れた医師は本来どこでも必要とされていたものだから、それが認識されたとたんに、総合医への過重負担が発生してしまう。医師数の不足よりももっと問題なのは、本来必要とされる医師、総合的な医師があまりに不足していることだ、とDr.Fの経験が語っている。H大学のK教授の視点も実は同じようなところにある。地域枠として入学する医学生を、それとして区別することに大きなリスクを見て取っているのだ。現実をまっとうに見る人たちは同じような意見に到達するという見本のようだ。
家庭医/総合医を増やすことは1つの解決策ではあるけれど、確かに地域医療や地域枠という言葉で切り取られた世界にさらされてしまうというpressureを生き抜くのは簡単ではない。自治医大の経験に即して考えれば、それは異質なもの特別なものとして区別されることに近いのであった。しかしながら一度発語された言葉は、世界を分けてしまうものだから、いまさら消去することもできないだろう。一方でそれが言葉として認識されているのなら言語学の知識を援用できるかもしれない。つまり言葉の意味は文脈の中で事後的に確定される。考えてみれば、地域医療という言葉は、それを話す人が文脈に応じて使い分けてきたというのが実情であった。そのために地域医療の定義が混乱していると言われてきたのだしね。ならばそれでよい。そして、その言葉の持つ根源或はボトムラインはこうなるだろう、”病む人への共感”。ありきたりだろうか。しかしどうやら、僕ら自治医大生の卒業生が現場の中で獲得したものは、こういうことだったのではなかったろうか。
2009年12月7日月曜日
bud in tree
こずえの先に突如現れた新芽をみるようだった。今まさに冬が始まるこの時期なのに、人間の感性というのは不思議なもので、ある人の行動1つで気分はもう春なのだから。本当にはかない梢であるにしても、それは天空をさしてのびているのだし、こずえの中枢側からみれば、その新芽は太陽の中でまぶしく反射して目がくらむほどだ。大げさな表現を今日は(今日も?)許してもらいたい。たまには、良いこともあるものだ。ぬか喜びにならぬようにと後輩に釘もさされているけれど、今はとりあえずいいんじゃない?楽しいんだし。(とても個人的な話なので理解できないと思います。すまない。)
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