2010年10月31日日曜日

words,sentences,and narrative

 若い医師たちと話をしていてなにげなく言ったことが、後になって、自分ながら重要な意味を持つように思えることがある。これもその1つ。僕はたしかこのように言ったのだった。”学生さんたち、あるいは初期研修医の人たちが、外来の診察を理解できないのは当然だよ。だって、彼らの知っているのは、せいぜい単語(医学知識)かあるいは基本的な短文(典型的な診断)なのだし、実際の地域医療で行われている外来診察は物語を読み込んでゆく作業なのだから。単語の数が多いからといって、小説は読めないでしょ。文脈あるいはコンテクストが重要なのだし。”そして、”だからまた、外来診療を見ていて知っている単語だけを拾うような見学実習は意味がない、ってことだよ。少なくても、単語を確かめるために外来診察をみていてはだめなことは理解しておかないとね。できれば物語を読むその読み方や、読み手と話し手のインターラクションからさらに変化してゆく物語のlive性を感じるようにするのが良いと思うよ。”、ということを、異様な熱心さで語っていたような気がする。なんでこんな話になったのかの記憶がない。どうしてこんなに熱く語る必要があったのかも。
 さらに後日、風呂に入りつつ思い浮かんだこと。物語の主人公の行動特性・それを語る人の性格の特徴は、確かに物語そのものというよりは、物語を発動する主人公あるいは本人の特性と捉えられるわけで、これはDr.Fたちの言うところの現象学的な観点と重なるものだろう。つまり、PCM(patient-centered method:患者中心の医療の方法)で行われている動作の中にすでに内在していたものなのではなかろうか。うーん、そうかな?そうあってくれると、考え方が統合できてわかりやすいのだけれどもね。

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