それがなければフラストレーションが昂じて落ち着きがなくなり、それによってその状態が解消されることをaddictionと呼ぶならば、きっと僕らの診療所(の医師他数名)は研修医addictionである。研修医のいない期間のカレンダーを横目で眺め、ため息混じりに”どうしようか?”なんて言いながら、他の施設から研修医を横流し(失礼)してもらえないかななどど話している。横流し作戦を決行するための姑息な手段を口にしては、おいおい、それは人間としてどうなんだ?という会話がなされるのは、やはりどうも変である。
研修の内容自体はそんな突飛なものでもなく、ありふれたものに違いない。ただ、地域医療の方法という言葉を頼りに、自分を或いは自分たちを語り続けているうちに、この”語る”というところで、必然的に聴衆の存在が求められるようになったのではないか、と思います。その語る自分自体が、毎回語りつつ変容してしまうのですから、確固とした自分があるとも思われません。このあたりに、どうも語ることの秘密や魔力があるような気がします。それにしても、スケジュールの空いたカレンダーは、ちょっと寂しいよなあ、どうしよう、誰か研修に来ないかなあ・・・(以下、また同じ)。
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