2010年2月22日月曜日

no kidding

 ふざけんな、という日本語の勢いに自分でも驚いて、no kidding!でお茶を濁す。いろんな意味で情けない。その当の現場では、なにやらもやもやとしていて、その場で反論もできなかったのでしたが、家に帰る途中、そして帰ってから、そのもやもやの理由が分かって怒りの感情に置き換わっていました。
 ちょっとパブリックな会議の内容なので、詳細を書くことはできないのですが、要するに、へき地医療は誰もやりたくないのだということが、言葉や方向を変えて確認されたのでした。へき地医療は誰もやりたくないのだから自治医大卒業生がそれをやるのは当然の義務である(うん、その通り)。自治医大生がそれを終生やる義務などないのだから早く専門を持ちなさい(現実的にはその通り)。確かに後輩たちの多くはこのようにして昔の僕らとは違う形のキャリアを持つことになるし、それはどうも避けられないことであると、最近は納得もしているのだけれど、なにか大事なことが大きく損なわれているのだ。
 へき地に住む人たち、そこで生涯を終える人たち、そのそれぞれの具体的で個別の人生の困難さへの共感がこれらの議論には欠けているでしょ?いわゆる技術者や科学者としての医師とその人生から発想される議論の展開に僕はきっと回転性のめまいを感じていたのだった。30年たっても結局変わらない。地域医療の専門医を、情熱をもって自ら進んで地域医療を実践し研究する新たな医師たちをつくることの必要性をなんど繰りかえして話したことだったろう。
 それにしても、Dr.F。先日地域医療という言葉の持つ危うさに関して議論したのだったけれど(articulationを参照)、地域医療の専門医というものが、その真性の意味が、損なわれて行くのをみるのはとても嫌なものです。それでも、まだもう少し頑張ろうと思えるのは、いまはばらばらになった仲間たちが、きっと、それぞれの場で持ちこたえようとしているのが分かっているからなんだろうね。いや、これは冗談ではなくて。
 

1 件のコメント:

bycomet さんのコメント...

コメントをブログに掲載させていただきました。
http://comet-log.blogspot.com/2010/02/1_26.html

コメントありがとうございます。