2009年12月13日日曜日

articulation

 分節すること、発音すること。ある事象をその背景からある言葉で取り出すことで、新しい事象として確定され、背景はそれと違うものと認識されるに至る。世界が生まれるということだ。光が闇との対として生まれるように。
 昨日地域医療に関する会議の中でDr.Fが語ったことは、そのようなことであった。総合という言葉でidentifyする自分は、専門という世界から新たに分離されて輝くようになるのだけれど、これは僕らの望むとことであったのだけれど、そこには選別が生まれ、専門の世界の人はさらに総合の世界から離れてゆくのだという。総合の優れた医師は本来どこでも必要とされていたものだから、それが認識されたとたんに、総合医への過重負担が発生してしまう。医師数の不足よりももっと問題なのは、本来必要とされる医師、総合的な医師があまりに不足していることだ、とDr.Fの経験が語っている。H大学のK教授の視点も実は同じようなところにある。地域枠として入学する医学生を、それとして区別することに大きなリスクを見て取っているのだ。現実をまっとうに見る人たちは同じような意見に到達するという見本のようだ。
 家庭医/総合医を増やすことは1つの解決策ではあるけれど、確かに地域医療や地域枠という言葉で切り取られた世界にさらされてしまうというpressureを生き抜くのは簡単ではない。自治医大の経験に即して考えれば、それは異質なもの特別なものとして区別されることに近いのであった。しかしながら一度発語された言葉は、世界を分けてしまうものだから、いまさら消去することもできないだろう。一方でそれが言葉として認識されているのなら言語学の知識を援用できるかもしれない。つまり言葉の意味は文脈の中で事後的に確定される。考えてみれば、地域医療という言葉は、それを話す人が文脈に応じて使い分けてきたというのが実情であった。そのために地域医療の定義が混乱していると言われてきたのだしね。ならばそれでよい。そして、その言葉の持つ根源或はボトムラインはこうなるだろう、”病む人への共感”。ありきたりだろうか。しかしどうやら、僕ら自治医大生の卒業生が現場の中で獲得したものは、こういうことだったのではなかったろうか。

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