検査したり、検査しなかったり、治療したりしなかったり、診察したり診察さえしなかったり、つまりはなんでもありということなんだ。ただ家庭医/一般医が、多分、ほかの医師と違うところは、多くの選択肢のあることとそれが患者さんとの関係性の中でゆらぎ、選択されるということに自覚的であるということだと思うよ。関係性をコアに置くということは、自分の特性や性格、偏りにも自覚的である必要があるのだけれど、これは意外に難しいんだよ。なんたって生身の人間なので、調子が悪ければ不機嫌になったりするし、相性の悪い人だっているわけだしね。いつも診断理論やPCMの話をrigidなものとして説明しているけれど、瞬間瞬間の関係の中でゆらぐというところはなかなか説明が難しい。結果的には筋道の通ったような外来セッションのように見えるとしても、それは事後的に構成された、後付け的な説明になっていることの方が多いのだしね。病院で行われる専門治療は、決められた方針を、もちろんある程度のゆらぎはあるにしても、完遂するところに特徴があるけれど、プライマリの診療は、ある意味ジャズセッションのような不思議なゆらぎこそ命なんだ。(研修医Tさんとの会話から)
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