2008年4月28日月曜日

一緒に悩む人募集中

 先月、地元大学医学部の授業を参観してきました。身体所見の講義と実習で、外来のカンファランスルームに学生さんが5人と教授が一人。自分の学生のころの講義と比べてみると、いささかレベルの高い内容で、こちらに質問のとばっちりが来たらどうしよう、なんて、まるで学生時代と同じビビリ方が情けない。・・・とばっちりなし。フ〜。K教授、ありがとう。
 教育のことを自分が述べることのおこがましさを感じつつも、実習に来てくれる若い研修医や学生の方たちのことをよく考えます。地域医療とはなにか?それを教えるというのはどういうことか?そもそも教育とはなんなのか?
 地域医療そのものは、あるフィールドで行われる(大抵は行政区域)医療サービスそのもののことで、フィールドの規模に関係のない単語です。サービスの内容も項目別にみればほぼ同じす。つまり相似なので、基本的にはどこで教育しても同じことになるのですが、ただし田舎でそれをみることの意義は確かにあるのです。医療サービスの流れ、福祉や保健や行政そして生活との関連が見えやすいという点です。市部の医療機関では、病院という箱の中での考え方が中心になりがちで、いくら連携といったって、これは実感しがたいと思います。フィールドの中で生活のレベルから医療を客観視できること。これは田舎で実習を行うことの最大のアドバンテージだと思います。
 しかし、それでも思うのです。田舎で医療活動を見せれば、それが教育なのか、と。エジプトに見学にいけば確かに歴史の眩暈を実感できます。京都にも修学旅行に行きましたし。しかしその歴史の意味、意識の動きに立ち入らなければ、結局、観光旅行でしょう。僕らがそうであったように、一時の思い出に終わらないことを願うのみです。なに言ってんだろう・・・医療が本来生活レベルであることが基本なら、医師と患者の関係も、診断や治療の行いも、なぐさめも優しさも本来は生活レベルであること。それを思い出としてではなく、積極的に経験することの重要性。積極的に生活レベルの医師になることの価値観と方法論。コンテンツにこだわらない、その圧倒的なスタイルこそ伝えたいと思うのですが、力不足の自分です。一緒に悩んでくれませんか、誰か。

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