2009年11月13日金曜日

bitter pain, sweet pain

 手当という言葉。きっとそれは、実際に痛いところに手をあててさするような動作から来ているのだろうと思う。自分で痛めた場所を自分の手でさすっているのだし、その効果はgate theoryからも確かめられそうです。それにしても、子供にとって、母の手当に勝るものは(多分)ないし、僕ら大人にしてみても、優しい触り方と言葉がどれほどの救いをもたらすかは議論の余地がないほどのことでしょう。
 実は研修医のMさんの仕草を見ていて、”手当”のことを思ったのでした。相手を気遣うものの言い方、やさしい仕草で、リウマチを煩うTさんの表情がみるみる和らいでいくのがわかりました。うーん、すごい。Tさんと18年も付き合いのある僕はまるで木偶の坊のように傍らにおり、”じゃ、また”などど言っている始末。同じ痛みが、同じ原因/同じ病態生理であったとしても、たった一人の暗い部屋で感じるそれは、きっと魂にもつきささっているし、それが日常であれば、きっとその人は長生きなんかできないだろう。ただ手当の優しさこそが深いところでその人を救うのではないか。Mさんを見て本当にそう思う。GP/FPを語る僕は、実はただの子供であり、語らずに実践する若い人に、絶望的な成熟を感じてしまいました。とりあえず、が、頑張るんだ、俺。

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