2009年5月24日日曜日

mind as narrative , starlight of the future

 先日臨床心理学のM先生に自分たちの診察の様子を見ていただきました。ちなみに臨床心理士さんたちは、大抵精神病院の中にいて心理テストや心理療法をしていますから、プライマリ・ケアの現場で一緒になにかをするなんてことは普通ありません。以前からPCM(patient-centered method;患者中心の医療の方法)には心理的なアプローチが不可欠だろうと考えていましたので、面識を得たのをきっかけに今回の試みをお願いしたのでした。
 それはもう驚きのレビューでした。いままで2次元平面でみていたものが、まるでいきなり3次元になり、しかも色つきになったような感覚でした。これこれ!絶対これが必要なんだって!心理面の動きを家族とその社会のコンテクストで読み取ろうとする動き、当然それは物語として把握されているのですが、さらに近未来の物語を想定したアプローチが連動します。そう、こういうことをやりたかったんだって!PCMに物語が重要だと自分で言っていたにもかかわらずうまくできていなかったのは、思うに、本人・家族と社会の物語の多様性に対する経験不足というか認識不足(知識不足も)というあたりが原因なのではなかったか、と。
 物語としてとらえることは、心であるところの彼をよりリアルにとらえることになるでしょう。物語は本来的に未来を語るためになされるという話も伺いました、そうだったんだ。

2009年5月22日金曜日

the reason why

 H大学医学生のI君との会話ー理由のある診療をするということは、とても大切なことなのだけれど、多分誤解することも多いこの言い方は少し説明が必要だと思うよ。もうすでにevidenceのことを考えたり、強固な医師の信念を思い描いたりしているでしょ?臨床的には、根拠(evidence)のあることと、それを実施する理由との間には相当大きな、そして決定的な隔たりがあるんだ。PCMではダンスとして例える当のものだし、構造構成主義的には信念対立に深く関係しているものだよ。
 頭痛の人が頭部CT検査を希望しているとして、僕らが科学的と言っている医学推論においては検査が不要だと考えるのは根拠のあることだと思うよね。そしてある医師は検査をしない。一方ある医師は検査をするんだ。それぞれの医師はそれぞれの理由で、検査をやったりやらなかったりするのだけれど、この最後の決断を決定づけるものはなんだい?医師と患者さんとの関係性の中にしか答えはないはずなんだ。患者さんのせいにしてはいけない。evidenceのせいにしてもいけない。その決定は、つまるところあなたがしているのだから、むしろあなたに理由があるのだ。あなたの価値観や人格や、感情や経験がそのままあらわれているところの理由ある診療ということだよ。すべてがキミ自身を表しているということなのだから、心しておこうね。(僕もね・・・)

2009年5月12日火曜日

coming soon is never coming

 かつて見た紙芝居やさんのおじさんは、”またすぐ来るからね”と、僕ら子供たちに確かに話したはずだった。いつまで経っても現れないおじさんを、小銭を握って2−3年も待っただろうか、いつしか忘れてしまったいた。それが深浦町のこと。その後、弘前という街に移り住んだ僕は、なんということか、再びそこの街角で、同じ紙芝居のおじさんに会ったような気がして、嬉しいやら、悔しいやら、大いにおじさんを責めたいと思ったのだけれど、またしてもおじさんは姿を消してしまったのだった。ひょっとしたら空想好きの子供の夢だったのかもと疑ったりするけれど。
 ”また来ますから”、と多くの研修医さんたちが言ってくれるけれど、僕はね、あの紙芝居のおじさんのことで分かってしまっているんだ。そんなの当たり前じゃないか。それなのに、不思議なことに、それでも、いつか本当に会えるかもと、春の宵には信じていたりするのだけれど。うーん、ちょっと疲れているかな。