2008年1月31日木曜日

自殺予防という活動と質的研究の気配

 健康づくり推進会議というものが各自治体で行われています。各種団体の代表が集まり、保健師さんから健康日本21の進捗状況の報告がされました。肝煎りで始まった健康日本21ですが、30年来の課題は変わることもなく、個別健康学習の効果やグループ作りも不発のようの思えます。新しいタイトルになり、たしかに経済効果はあっただろうけれど・・・決まった形を押しつけることが科学的なのだろうか。
 ところで、会議では自殺に関する報告もありました。県内で自殺予防に取り組んでいる地域は自殺率も低いのだそうで、こちらでもなにか対策を立てましょうというお話。まずは、なくなられた方の動機や背景を分析するのだそうです。原因別の数をカウントして、比較して、グラフにして、分析してもいいのだけれど、常識的には経済問題と社会的な孤立が大きな要因だろうと思う。実は意識の高い人たちのグループインタビューで十分ではないのだろうか。他地域の成功例では、多重債務の相談を受ける内容のビデオを各戸に配布、同時にビデオの中で自治体の長が命の大切さを訴えていたのだそうです。このような活動を質的研究(action research)と呼んでも間違いではないのじゃないかな。地域医療や家庭医療には研究が少ないからacademicではないと言われることがあります。研究のスタイルがそもそも違うのだと思います。
 
 

2008年1月30日水曜日

いもあらいに行く

 「いもあらいに行く」と初めて聞いたときは、ちょうど長芋の収穫時期だったので、「それは大変な作業ですね。腰を痛めないようにね。」と受けたのでした。「そうなのさ。腰の痛みが治らないから三沢までいってくる。バスで迎えにきてくれるしの〜。新しい機械ですごく性能がよくて、寝てればなんでもわかるんだと。」「それ、ひょっとしてMRIのこと?」「そうそう、そのイモアライさ。」
 車で一時間ほど南にある整形外科クリニックからはほぼ毎日送迎バスが出ていて、大勢のご老人が乗り込んでゆく。建物は新しくモダン。MRIは基本検査らしい。治療の内容は詳しく知らないが、拝見する処方は通常のもの。「一年前は骨の変形があったと言われたから、今年もまたやってもらおうと思ってるんだ〜。まだ痛いからなあ。」 ウーム。
 田舎に住むご老人が求める高度医療・専門医療。彼らに非はない。そのような日本の医療物語にちゃんと乗っているだけだ。地域医療という特別なものを求める人はいない。問題の解決を求めて自由な選択があり、田舎で満たされない(治らない)のだから送迎バス付きの専門施設はむしろ望むべくして成立している。さらにその地域での物語あるいは口コミも影響力が強く、外部からのコントロールは不可能に見える。論理ではなく、信念に近いものだから。
 医療費の効率化にはおそらく医療制度の変更が必要だろう。新しい形になれば、物語も変容せざるを得ないだろう。ただし新たな物語に正当性と希望を感じるのでなければ、ついに主流とはなりえないとも思う。僕らは準備ができているだろうか?患者中心医療の方法と地域アプローチの実践は、まず自分を変えてゆく覚悟がなければならないのだからね。新しい人よ、現れよ。

 

2008年1月26日土曜日

認知症をネットワーク障害としてとらえる

 先日、大雪の日に、薬剤メーカーのプロパーさんがアルツハイマー型認知症のテレビ講演会の案内を届けてくれた。その折NHKの認知症特番の話にもになって、相変わらず一般外来の診断を含めた対応能力の低さが問題になっていたのだと。さらに何時間かの講習を受けると、なんとか認定医になれるのだとか。ありゃまー。
 認知症は確かに病理変化が明らかになりつつある疾患ではあるけれど、現実のそれは家族を含めた地域社会の問題とし立ち現れるのだから、社会病理として捉える視点は非常に重要だと思います。
 具体的なイメージでとらえるために、人と人との間にある目に見えない紐で編みこまれた大きなネットを想像してみます。問題になっている人はその中央に位置しているとします。その重みが増すほどネットの中央がくぼみ、ネットの結び目にあたる各人の張力が強くなるのがわかります。ネットワークはひずみ、弱いところは切れてしまうでしょう。このネットワークの性質を知ることー強さや弱さ、隙間の大きさや広がりーなしに、個人に対応するのは難しい・・・。講習会で得た疾病の知識は、個別のネットワークの感触をえた上で利用されないならば、そもそも臨床医はいらないでしょう。駅の自動切符販売機のようなものがあれば良いだけですから。地域医療の重要な方法の一つは、この個別化されたネットワーク或いはフィールドの理解と運用にあることは間違いありません。