疾患名は抽象的な概念なので、誰にでも使えるが実は誰にも適応できない。その人の背景や生い立ちや家族や社会、或いはその人の信条のという全体性の中にその疾患名を置くと、えらく場違いな感じがする。映画の中に突然アニメーションを組み込んだときのあの違和感に似ています。同じ感冒だって、その人その人でまったく違った意味や重みを持つものなので、急性上気道炎という言葉に翻訳した時におこる抽象化に気をつけた方がよいと思う。それでは分かったことにならないと思う・・・ということを、若い医師に話すことがあります。そんなことを考えても考えていなくても処方箋の内容は同じだったりするので、意味がないのではないか、とも言われます。多分違うのは、話す態度や物腰だろうと思うのですが、なぜこのような違いが発生するかというと、全体性の中でみた疾患概念の変貌に驚きを感じるからなのだと思います。例え話を1つ。疾患概念を墨汁の1滴に、ある人の全体性をお皿に入った水とします。お皿の形や大きさや色、或いはその深さによって、或いは滴下するスピードによっても、落ちた墨汁が水面にあらわす模様は全く独特なものになるでしょう。そのお皿さえ、時とともに変化しますから毎回が違ったものになります。驚くべきことですね。
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