2012年6月15日金曜日

diagnosis and solution in primary care/study on others

この秋に地域医療のテキストを出版することになりました。診療所の経験を方法論にまとめたもので、本のタイトルは”地域医療の方法ーdiagnosis and solution in primary careー”にする予定。このブログで述べてきたことを基本にして、実際の診療現場で具体的な例をどのように診断して、地域の中でどのように解決するかという本です。かつてこのブログの中で臓器にこだわらない汎用性の高い方法論を紹介したことがあったのですが、それをさらに生活レベルに拡張しています。治療と言わずにsolutionとしたのは、拡張した診断はその解を生活レベルや地域レベルにまで拡張することを要求するからなのですが、多分、もし機会があったら実物を読んでいただいた方がわかりやすいです。
 実はサブタイトルがあります。”その他”の研究(study on’ others’)。異常なしといわれ続ける人たち、或いは診断はつかないけれど、勝手に治ったり、生命には関係ないといって通常の医療からあまり注目されない状態をどうやったら診断できるのかということなのですが、自分でも、このような趣旨の本がどのような人に読まれるものか少々心許ないです。
 とは言え、primary careが本当に面白いと言えるようになった自分がほんの少しだけ誇らしいです。ここに来てくれる学生さんや研修医さんのお陰だと心から思います。出版の顛末やmaking、売れ行きなどこれから紹介したいです。よろしかったら付き合ってくださいね。

2011年11月9日水曜日

bullet tour ; what I have found is fellowship, or tribe

地域医療振興協会の海外視察研修で診療所委員会の仲間たちと一緒に英国と米国の家庭医療/一般医療の見学に行ってきました。1週間の弾丸旅行だけど。同じであることの確認、その違いの文脈依存性。そんなこと僕は知っていたはずなのに、あらためて現場で仲間たちとともに語り合っている。嗚呼、同じじゃないか。彼らの悩みもその喜びも僕らは知っていたのだし、そうそう、そうなんだよ、妙にはしゃいでいる自分がちょっといじらしい。帰国して、彼らの診療風景を想像する。その仕草や語り方が目の前に展開する。さらに一緒に旅行に行った仲間たちの診療を想像する。・・・本当に見えるような気がする(アムロか!と、誰かに突っ込まれているような気もする)。彼らが僕を奮い立たせる。彼らに恥じないようなものになりたいと思う。OK、僕らは、このjazzyな環境でも、なんとかやっていけるだろう。

2011年10月7日金曜日

hello...it's a kind of wind twittering

 本当に久しぶりだった。僕は自分が風なのかなと感じていた。うんと幼い頃の夕暮れ時に、体ごとオレンジ色に染まる故郷の岬で風の中、家族で過ごしたあの時以来のように思う。彼女は肝硬変で意識障害を起こすようになっていた。本当に長く外来でお付き合いすることになった彼女の人生は過酷なものであった。肝臓を患うきっかけとなった病がもとで家族は大きくバランスを失った形でしか存続することができなくなっていたが、気っ風の良さが彼女とその周りの者たちに力を与えていた。
 ある日、吐血で入院となった彼女は貧血のために蒼白であったが、かろうじて意識の低下はなく、口元にはかすかに笑みを浮かべていた。なにかが過ぎ去って行くような感覚、彼女の表情、仕草、その言葉と響き。ああ、風のようだ。そして同時に自分もまたそのようなものであると確信する。風が吹いている。いや僕らこそ風なのだと思う。

2010年12月3日金曜日

extraction of the memory of UK 1; tomorrow's doctors

 tomorrow's doctorsという言葉に、その内容を知らぬまま、僕は避けがたい魅力を感じていた。現実的にいろいろな問題があっての医学教育改革であり、一般医GPの待遇改善や質的保証であったはずの英国医療事情の変化とその目指すところを端的に象徴している。それはまるでIconだ。tomorrow's dotorsー英国における卒前医学教育の基本理念と方法を示す文書のタイトルでありGMC(general medical council; 日本の厚労省のような組織)が何回かの改訂を行い現在に至っている。Iconの力おそるべし。tomorrow's doctorsはundergraduateのものだけれども、卒後の臨床研修にしめされている内容は完全にこれを踏襲しているし、またそれに響くように卒後臨床研修のサブタイトルはnew doctorsなのだ。faculty developmentも当然これらに合致する方向で行われているように見える。
 今回の渡英は実にそのIconの力がなしえたものだ。すでにその魔力にそまった僕の目には英国で経験する多くのことがそのようなものとして写ってしまうのは避けがたいことだったような気がする。記憶の取り出しと再構成は、したがって、そのようなmimd setの状態で行われることになるはずなので、読まれる方、ご注意ください。

2010年11月30日火曜日

how to experience a new experience/back from England

 ついに英国に行って参りました。10日ほどの渡英で帰ってから1週間経ちますが、やっと体調が元のレベルに戻った感じです。短期間にいくつかの施設を巡り様々な人に会い、僕はなにを学んだのであったかと振り返る日々です。記憶を再生し、新たに構築して、その中から力のある物語を取り出したいと思っていますが、まだ少し時間がかかりそうです。
 しかしながら、今回の経験の中でもっとも特筆するべきは、自分の経験の仕方の変化であったと思います。修学旅行のように静的にコンテンツをなぞるのではなくて、その場でコンテンツが立ち上がり動き出すような感覚を感じつつ、同時に俯瞰的な意識を保った見方。例えて言えば、ある程度熟練した外科医が、他の外科医のする手術をみるときの感覚に近いものの見方になっているようなのでした。しかも手術だけではなく、それをささえるスタッフの息づかいやチームワークまで同時に感じてしまうような。・・・どうも、言葉が足りない。
 もう一度再考します。
PS:英会話、やっぱりダメでした。

2010年10月31日日曜日

words,sentences,and narrative

 若い医師たちと話をしていてなにげなく言ったことが、後になって、自分ながら重要な意味を持つように思えることがある。これもその1つ。僕はたしかこのように言ったのだった。”学生さんたち、あるいは初期研修医の人たちが、外来の診察を理解できないのは当然だよ。だって、彼らの知っているのは、せいぜい単語(医学知識)かあるいは基本的な短文(典型的な診断)なのだし、実際の地域医療で行われている外来診察は物語を読み込んでゆく作業なのだから。単語の数が多いからといって、小説は読めないでしょ。文脈あるいはコンテクストが重要なのだし。”そして、”だからまた、外来診療を見ていて知っている単語だけを拾うような見学実習は意味がない、ってことだよ。少なくても、単語を確かめるために外来診察をみていてはだめなことは理解しておかないとね。できれば物語を読むその読み方や、読み手と話し手のインターラクションからさらに変化してゆく物語のlive性を感じるようにするのが良いと思うよ。”、ということを、異様な熱心さで語っていたような気がする。なんでこんな話になったのかの記憶がない。どうしてこんなに熱く語る必要があったのかも。
 さらに後日、風呂に入りつつ思い浮かんだこと。物語の主人公の行動特性・それを語る人の性格の特徴は、確かに物語そのものというよりは、物語を発動する主人公あるいは本人の特性と捉えられるわけで、これはDr.Fたちの言うところの現象学的な観点と重なるものだろう。つまり、PCM(patient-centered method:患者中心の医療の方法)で行われている動作の中にすでに内在していたものなのではなかろうか。うーん、そうかな?そうあってくれると、考え方が統合できてわかりやすいのだけれどもね。

mentor without contraction

 基幹型研修病院から2回にわたって地域研修に来てくれたS君。地域医療の方法は、どれも地味だし、いわれなければその方法を使っているのさえわからないほどのものだから、その理解にはケースを通した議論しかないんだ。ほぼ毎日3-4時間にわたる検討会を通して、なんとなくそのことをわかってくれたとは思うのだけれど、最終日に君に言ったのが、”混乱の意味を知ることが地域医療のコアだ”、だから、ますまず混乱させたのに違いない。いや、けっして君をいじめているわけではない。結局、僕自身がそのようなことに呪縛されてもいるのだしね。ただしS君。君が僕の言葉で混乱しながらも、カウンターをあてるような質問のできることは本当にすばらしかった。一方通行ではつまらないし、こういった状況の方が、僕自身にとってはありがたいことだから。なにしろ、すぐ調子にのって、自分の解釈を、さもそれが真実のように話す悪癖があるから。
 そうそう最後の最後に”僕のいうことを信じるな”と言ったのは、そういうことなのだった。要は自分で考えろという落ちがついて、今回の研修は終了です。・・・5年後、また会いましょう。自称おしかけ教師とのコンタクトは生涯続くと覚悟されよ。いや、これもいじめではないってば。