2009年1月9日金曜日

涙もろさの発見

 最近妙に涙もろくなっている。テレビコマーシャルで見かけたシーンー仕事が忙しくて朝ご飯になんとか入りの(なんかの商品です)おにぎりしか用意できなかったお母さんが、まだ4歳位の息子の前に座って言う、”ごめんね。”すると、子供は不思議そうに、”なんで?”という。これだけなのに、涙が溢れてしまう。なにも疑わず、その子にとって太陽のような母の愛情を全身で浴びる息子の仕草と言葉。太陽の暖かさがあれば、ねえ、他になにが必要なのですか?
 自分の息子たちが正月休みに帰郷して、あっという間に帰ってしまったことが影響しているような気がする。それにしてもこのシーンに共感するために、僕には50年という月日が必要だったのかもしれない。ある年齢や経験がなければ体得できない言葉があるのだとしみじみ思う。例えば親子の情、涙もろさ。多分、外来診療のさなか、つかみきれなかった言葉の残骸がただよっているのだろう・・ごめんな、みんな。共感こそが地域医療の方法のコアだと大見得きったものの、それが上手にできないことも同時に知っている自分としては、齢を重なることで発見する言葉との出会いにかすかな望みをかけてます。年をとるのって不思議なもんです。悪くはないです。