自分の息子たちが正月休みに帰郷して、あっという間に帰ってしまったことが影響しているような気がする。それにしてもこのシーンに共感するために、僕には50年という月日が必要だったのかもしれない。ある年齢や経験がなければ体得できない言葉があるのだとしみじみ思う。例えば親子の情、涙もろさ。多分、外来診療のさなか、つかみきれなかった言葉の残骸がただよっているのだろう・・ごめんな、みんな。共感こそが地域医療の方法のコアだと大見得きったものの、それが上手にできないことも同時に知っている自分としては、齢を重なることで発見する言葉との出会いにかすかな望みをかけてます。年をとるのって不思議なもんです。悪くはないです。