地域医療の話をしていて、また訳の分からない話で煙に巻くつもりもないのだけれど、その日常のあり方や姿形が僕には砂の海岸線に似ているように感じられる。それは関係性の中から立ち上がるもので、その土地と医師やそこに住む人たちや祖先の霊魂がそれぞれに影響を与え合い、それらの光の色が干渉しあうようなあり方だ。もちろん堅固な山も美しいし、高い山は人を魅了する。これらrigidなものを本質的なものに分類すれば、地域医療は(多分)ポストモダンの枠組みの中で語られることになる。・・・だからどうしたってことでもないのだけれど、地域医療の曰く言い難い魅力を伝えたくて。
2009年7月30日木曜日
seashore and mountain( postmodernism)
美しい海岸線を北へ向かう。波が洗う砂浜の海に向けた境界は定まることはなくて、時間のフレームを重ねれば平均として仮想できるけれど、むしろダイナミックなinteractionという方が適切だと思う。海と陸との境界における絶え間ないinteraction。仮想される形は、海と陸との関係性の中に生まれる永遠の刹那だから、堅固な、例えば、山のあり方とは異なっている。うーん、当たり前か。
2009年7月15日水曜日
diagnosis moves the future of us, therapy looking back on the past
このような言い方は傲慢のそしりを免れないのだろうな、と思いながらもここに記載するのは、それでも幾ばくかの知見と信じるからなのですが、勢いで話した言葉に自分自身が驚いたというのが正直なところです。外来での診療行為、特に診断することの意味伝えようとして”診断は未来を動かす、或いは未来に向かって人が歩む動因である。翻って治療は過去への回復或いは回帰を目指すものである。”と言っていました。口角泡を飛ばして、相変わらず。
当たり前のことですが、過去と現在の病歴を伺いながら導きだす結論(診断)は、これからの未来の予想なしには語れません。医師はその予想のもとに治療を開始したり、検査を追加したり、紹介したりということになるのですが、宣言された方もそれに合わせて家族に相談してみたり、お金の工面を考えたり、子供や家族のこれからを考えたりします。そしてそのご家族は、ご家族で・・・外来での診断はこのようにして未来を動かす意味合いでとても重要だ、と言いたかったのでしたが、入院しての治療は過去への復帰を目指すというのは、未来という言葉へのバランス感覚だったかもしれません。入院治療だって、もちろん未来に開いている訳なのですが、治療が目指すのはこのようにはなっていなかった過去の状態だ、という意味です。いずれにしても僕らは未来と、変性をうけた過去としての未来に関与することになります。それにしても、こんなことを知ることで日常世界になにか影響があるのでしょうか?多分、医師の構えが微かにかわるでしょう。おそらく右に1度ほど。
2009年6月26日金曜日
star wars episode 3, synchronized with personal career
前回はガンダムで今回はstar wars。なにかに例えると伝わりやすいかな、と考えているのでしたが、個人的な経験を語ることの伝わりにくさを乗り越えるために人はよく共通の物語を用いる、と言い換えるとちょっとは高尚な感じになりますね。ユングや村上春樹なんかも・・・
さて、star warsは全部で6つのエピソードで成り立っています。最初の公開はエピソード4でした。思春期にある主人公skywalkerが敵に襲われジェダイへの道のりが始まるのでした。悪のダースベーダー、可憐なレイヤ姫。当初宇宙を舞台にしたSF戦争くらいにしか思っていなかったのですが、そのSF技術や奇抜な宇宙人との戦いに興奮していました。そして最後のエピソード3.ダースベーダーが主人公の父であり、もとは正義のジェダイであり、愛する妻を救うために、はからずも悪の化身に身を落とすことになったことが判明します。円環構造は閉じ、10年以上を費やして完成した映画が幕を閉じました。うーん、よかった。いままでみたいろいろなシーンの意味がはじめて理解され、すべてが繋がった感覚でした。
自分の経歴の中で、そんな感覚を最近感じるようになりました。地域医療の研修にここまで来てくれる若い学生や医師にPCM(patient-centered method;患者中心の医療の方法)と地域アプローチを語る中で、およそ25年前、医師3年目の自分が、津軽半島の小さな村の一人診療所で過ごしたあの日々の一々の意味をようやく理解した感じになるのです。物語が全貌をその物語を過ごしてきた当の本人に語りかけるという二重構造。さらにそれを若い人に語りかけるという事態を、25年前の僕には想像すらできなかったなあ。若い方たち、聴いてくれてありがとう。ちなみに女房にもよく言われます、”研修医の人たちに聴いてもらってありがたいと思いなさいよ。”って。全てお見通しってわけです。
2009年6月17日水曜日
human souls, attracted by the gravity of the earth
ガンダムを知るあたなにはこの台詞に未来(;とき、と発音)の涙が見えるかもしれない。この英訳がその真意を伝えらかどうかはきわどいところだけれど、地域医療に青春をかけてしまう或いはかけてしまったあなたにちょっとだけ語りたいと思います。今日お昼休みに”総合医の”由来を学生のS君たちに説明していて頭に浮かんだシャー・アズナブルの台詞だったのですが。
そもそも”総合医”という言葉は自治医大の卒業生たちが、その実践と経験に自らが与えた名前であって、大学の教授たちは関係していないだろうこと(このブログ内”自治医科大学の冒険”を参照)。本大学のある県の卒業生は誰も地域医療学教室ー総合医養成の総本山らしいーに所属していないこと。地元に大学医学部があることろでは、おそらく専門医療の引力が強すぎて地域医療の真意や方法を考えるなんてことはないのだし、ましてや地域医療に青春をかけるなんてのはあり得ない話。そう、ここで重力が出てきます。地球の重力に魂を引き寄せられるものたちとspace colonyで生まれ育ったものたちの決定的な違いがこころにある。母なる地球の重力はそれはもう当たり前の大前提であって、存在も価値も全て負っているのである。なにが問題か?問題はない、この地球の上では。しかし地球の重力を逸脱したところに生まれる新しい魂の象徴としてnew typeとガンダムシリーズで呼んでいたものに僕らは共感する。たんにspace colony生まれではない、革新としてあるものであり、同時に本来の姿を表すもの。うーん、かっこよすぎるシャーの真似は結構プレッシャーがあるけれども、ああ、また自分の首をしめているようだけれど、敢えて言えばそんな地域医療の専門医を目指しています。
・・・つまりね、S君、総合医というのは本当はspace colony生まれの人たちを言うのであって、地球人には十分には理解されないと思うよ。ましてやnew typeはcrazyな圏外の人ということになるね。以上のことをすぐに理解できるあなたは、ちょっと変わった人だと思います。一緒に働きませんか?
そもそも”総合医”という言葉は自治医大の卒業生たちが、その実践と経験に自らが与えた名前であって、大学の教授たちは関係していないだろうこと(このブログ内”自治医科大学の冒険”を参照)。本大学のある県の卒業生は誰も地域医療学教室ー総合医養成の総本山らしいーに所属していないこと。地元に大学医学部があることろでは、おそらく専門医療の引力が強すぎて地域医療の真意や方法を考えるなんてことはないのだし、ましてや地域医療に青春をかけるなんてのはあり得ない話。そう、ここで重力が出てきます。地球の重力に魂を引き寄せられるものたちとspace colonyで生まれ育ったものたちの決定的な違いがこころにある。母なる地球の重力はそれはもう当たり前の大前提であって、存在も価値も全て負っているのである。なにが問題か?問題はない、この地球の上では。しかし地球の重力を逸脱したところに生まれる新しい魂の象徴としてnew typeとガンダムシリーズで呼んでいたものに僕らは共感する。たんにspace colony生まれではない、革新としてあるものであり、同時に本来の姿を表すもの。うーん、かっこよすぎるシャーの真似は結構プレッシャーがあるけれども、ああ、また自分の首をしめているようだけれど、敢えて言えばそんな地域医療の専門医を目指しています。
・・・つまりね、S君、総合医というのは本当はspace colony生まれの人たちを言うのであって、地球人には十分には理解されないと思うよ。ましてやnew typeはcrazyな圏外の人ということになるね。以上のことをすぐに理解できるあなたは、ちょっと変わった人だと思います。一緒に働きませんか?
2009年6月12日金曜日
how to be an ugly adult
僕は確かに”いやな大人にはなりたくない”と思っていたし、いまでもその感覚はあんまり変わっていないんだ。自分の主張も持たずに、ただただ周りにお追従をして、陰で悪口を言う。或いはまるでわかってもいないのに、歴戦の口八丁で自分を正当化しては悦に入ったり逆切れしてみたり、というタイプの大人たちのことなのだけれど、最近は全部が全部意味のない、唾棄すべきものだとも思わなくなった。周囲に合わせることは時にとても重要なことだし、自分の行動を正当化する論理を使えることもたまには必要だものね。いずれも社会的にあるためには大事なことだと思う。誠実さが担保されれば、という厳しい大原則があるにしてもね。それにしても影の悪口や卑怯な手口や過度の自己陶酔は、いまでも十分な嫌悪感をいだかせるのだけれど。僕らが感じていたみにくさというのは物資的なものではなく、その心の現れ方、物欲しげなその感性こそだということだよね。そんなんじゃ生きていけないって?うん。でもそれは生活のこと?生きるという意味の問題は重要だよ。僕らはいつだって生死とともにある職業人だからね。だから、職業人として自分を律するというのは、生死や真善美という類の言葉を目指すものであるし、物欲しげな品性とは正反対な生き方になるはずなんだ。困難な道だけれど、きっとあの頃の僕らは十分理解してくれるはずだよ。大人げないかな。
ーわからないことがあるときに、医師はどのように患者さんに話すのか、という話題から。
ーわからないことがあるときに、医師はどのように患者さんに話すのか、という話題から。
2009年6月3日水曜日
Dr.F, Dear Dr.F
どんなことがあってもその道を歩む人たちがいる。もちろん結局のところ、好きでやっているということになるのだけど、どうしてそこまでするのかと不思議な胸騒ぎがしてしまう。使命感、それは大きなの要因の1つだろうと思う。僕がやらなければならない。歯を食いしばり、天を仰いでそうつぶやくシーンが目に浮かぶ。雨が降れば傘もささず、雪の中ではコートもなく。そりゃ、倒れるよ。だけれども、僕の知っているその人は、僕の敬愛する後輩なのだけれど、なんだか少し様子が違っている。信念が固いのは折り紙付きであるにしても、なんだか楽しげな雰囲気がただよっている。周りの人からのほほえみに感応するようにほほえんでいる。混乱の中にあって、新たな胎動に心を通わせている。うーん、すごい。
ところで、そんな彼に僕自身が反応し、勇気づけられ、また歩きはじめるなんてことが、遠い昔には思いもよらなかった。だって、後輩だよ。本当はぼくが元気づけなきゃならないはずの。しかし、遙か彼方に輝く星からみれば、それは僕らに多分共通したあこがれのメタファーでもあるけれど、多少の年齢差は無視できるくらい小さなものではありますね。Dear Dr.F 貴方がいてくれてよかった。
2009年5月24日日曜日
mind as narrative , starlight of the future
先日臨床心理学のM先生に自分たちの診察の様子を見ていただきました。ちなみに臨床心理士さんたちは、大抵精神病院の中にいて心理テストや心理療法をしていますから、プライマリ・ケアの現場で一緒になにかをするなんてことは普通ありません。以前からPCM(patient-centered method;患者中心の医療の方法)には心理的なアプローチが不可欠だろうと考えていましたので、面識を得たのをきっかけに今回の試みをお願いしたのでした。
それはもう驚きのレビューでした。いままで2次元平面でみていたものが、まるでいきなり3次元になり、しかも色つきになったような感覚でした。これこれ!絶対これが必要なんだって!心理面の動きを家族とその社会のコンテクストで読み取ろうとする動き、当然それは物語として把握されているのですが、さらに近未来の物語を想定したアプローチが連動します。そう、こういうことをやりたかったんだって!PCMに物語が重要だと自分で言っていたにもかかわらずうまくできていなかったのは、思うに、本人・家族と社会の物語の多様性に対する経験不足というか認識不足(知識不足も)というあたりが原因なのではなかったか、と。
物語としてとらえることは、心であるところの彼をよりリアルにとらえることになるでしょう。物語は本来的に未来を語るためになされるという話も伺いました、そうだったんだ。
登録:
投稿 (Atom)