2010年9月16日木曜日

new curriculum-2

 僕が望むカリキュラムは総合医の現場に即したとても現実的な履修項目の提示から始まることになる。時間、空間そして形式或いは方法論という大枠をまず示すこと。
Ⅰ  時間
Ⅰ−1.emergent Ⅰ−2. acute Ⅰ−3.chronic Ⅰ−4. life
Ⅱ 場所
Ⅱ−1. surgery Ⅱ−2. hospital Ⅱ−3. home Ⅱ−4.community
Ⅲ 方法
Ⅲ−1.communication Ⅲ−2. diagnosis Ⅲ−3. intervention Ⅲ−4. PCM
これらは例えば、急性の状態×診療所設定×診断・治療という状況が考えられるということを表現できる。次にそれぞれの履修すべき下位項目が続く。
Ⅰ−1 emergent
①consciousness disturbance ②shock ③dyspnea ④chest pain ⑤trauma
Ⅰ−2 acute
①pain ②fever③anxiety④organ specific symptom⑤・・・(未定)
Ⅰ−3 chronic
①knowledge of chronic disease ② behavior change 
 つまり時間の切迫状況に応じて対応するべき症候を中心にした分類を基本にするということ。例えばacuteでpain,feverという項目がありますが、これらは臓器にとらわれない考え方が必要であるという意味で総合或いはgeneralらしい視点を提示していると思います。地域の現場では痛みや発熱で受診することが非常に多いのですが、痛みに関して言えば、領域にこだわらずに痛みをとらえ解析することで不確定な状況に対応しやすくなります。またemergentの状況では、意識レベルの判断・対応、バイタルサインを常に意識しながら行う医療行為、心臓血管系への配慮、そして外傷対応は必須であって、実際の救急室の動きをなぞらえたものになっています。慢性疾患では各疾患別のコントロール状況と検査ならびに行動変容が大きなテーマになっていますのでこのように分類しました。最後のlifeという項目はlife eventを含んだ生活に関連したものの見方とアプローチを学習するものです。
 これらに続いて、さらに具体的な臨床に即した学習項目をお示ししたいと思いますが、え〜、さらに続く・・・かなあ(実はまだ思案中)。
 



2010年9月15日水曜日

new curriculum−1

 医師会雑誌に生涯教育新カリキュラム〈2009〉が掲載されていた。医師会主導の総合医認定のためのカリキュラムで、福井次矢先生をはじめ医学界ではつとに有名なメンバーが数年をかけて制作したものだという。地域医療の崩壊への有力な解決策として出されたのが”総合医”であったはずのカリキュラムは、なんと実行される前に医師会の新人事とともにまるで骨抜きにされたのだった。生涯教育受講認定書が欲しい医師会所属の専門医の便を図ったのだそうだけれど、広い範囲の内容を取得することが前提のこの仕組みが、好きな科目を決められた時間受講するだけでよいという以前の形に戻ってしまっている。地域住民のための計画が、医師の便宜でご破算にされる。カリキュラム制作に尽力された方々の深いため息を思って、こちらも深いため息が出てしまう。professionalismが泣く。30年前も、20年前もすべて総合を目指した研修カリキュラムは医師の都合で不発に終わった。世間は失敗の事実さえ知らなかった。それでも現在希望があるとすれば、地域医療の崩壊を目の当たりにした世間が、以前よりも医師の研修やその考え方に注目しているということだ。社会の要請と無関係なprofessionとはそもそも語義的にみてもありえないのだし。ばかやろー(と、海に)。
 医師会の新カリキュラム自体は、さすがに、洗練されていて美しいと思う。作成された方々の情熱や優秀さがよくわかる。ただ、本当に僭越と思うのですが、地域医療の現場から言えば、少し物足りないとも感じます。僕が欲しいのは・・・次回に続く。
 
 

2010年9月13日月曜日

communication dive

 季節がようやく秋らしくなったせいか、少しいつもの感じをとりもどしている。渡英の話、或いは若い同僚たちの結婚話もあり、息子の進学や就職のこともあり、今週末は東京出張もあって、やっぱり落ち着かないのはいつものことだけれど・・・そうそう少しいつもの感じ。外来の会話の中に沈潜してゆくときの妙な感覚のこと。最近は、相手の視線のベクトルの中に、自分の視線を飛び込ませて、自分の表情を相手側から想像するという変な作業をしている自分に気づいて驚く。彼の表情の微妙なゆらめきに、自分の表情が同期する、或いはその逆、さらにまたその逆。まるで自分の顔を鏡で見ている時のようにいたたまれなくなってきて、すぐに視線を下方5度ほどそらせては、ではまたいつものお薬を、なんて言っている。なにをやっているんだか・・・コミュニケーションの起源を追体験しているような気もするけれど、なんだか触れてはいけないものに触れているような気もする。或いはこんなことはあんまり普通すぎて、みんな感じないのだろうか。コミュニケーションは考えるほどに難しい。意識する人ほど、難しいのだろう。意識せずにするコミュニケーション、これはまた相当に困難だろうし、そんなのそもそも必要とも思われない。
 外来診療の不思議さや奥深さや恐さを感じつつ、それでもcommunication diveするのだ。そこは多分、家庭医・一般医の住み処だからね。うーん、自分の首をしめている気がする・・
 
 

2010年8月31日火曜日

teaching medicine in the community

 英国の地域医療と医療教育を視察する下準備ために医学教育に関連した文献を読んでいます。あらためて日本の新臨床研修制度の内容とそれを実行するために展開されている指導医講習会のことを考えながら、その理想と現実の間隙の深さに戸惑いを感じます。僕を含めた指導医講習会の受講者たちが、はたして現場でその教育理論を用いながら、現実的にその体現者たりえたかというと、実のところ厳しいです。各科には徒弟制度の影響がまだ色濃く残っている状況で、講習会でならった成人学習理論・学習者中心の教育を実行することの困難さは、議論するまでもなく分かってしまう。そもそも大学での教育でさえ全く学習者中心ではないのだから、当たり前と言えば当たり前のことなんだけど。
 臨床研修制度の内容は決して悪くない。ただ、その大きな目標となっている医師としての人格の涵養や学習を自発的に続ける能力の獲得といったところになると、これは、忙しい各科の現場ではなくて、むしろ大学でこそ系統だって学習するべきもののように思う。表題の本を読むと、かの国ではこれを卒前教育として地域中心で行っているようなのだ。医療制度等のお国の事情はあるのだけれど、膨大な情報の氾濫、医療の社会化、他職種とのチームワークなどが必須の現代で、医師として生涯発展するための能力をこの時期に、しかも地域という現場で獲得するというのは本当に重要だと深く思う。自治医大の卒業生たちが自前で獲得してきたことと同じ形であることにも驚きました。なんという教育システムだったことか!
 研修制度のマイナーチェンジがあったけれど、大学教育との連動の必要性はあまり問題にされてないのだろうか?各科の技術は卒後の研修で、医師としての基本骨格(内容ではなくてその形)は大学で。多分それには従来の慣習を大きく変えなければならないし、母校自治医大もそれに気づかなければ、未来はないとも感じます。各地域にいる卒業生がいなければ、実は自治医大は普通の医学校の1つに過ぎませんからね。

2010年8月27日金曜日

story telling: live and let live

 1ヶ月或いは3ヶ月という長い期間を地域研修に費やして帰って行く研修医の人たちを見送るのはいろいろな意味で感慨深い。その会話の断片を思い出す、多少の痛みも伴って。
 彼らが傷ついたり悩んだりするそのたびに、何か言葉をさがしてきて語るのは、やはり自分のこと以外ではないのだけれど。自分の経験を再構成して語る物語から、なんとか力のある言葉を取り出そうとする作業は思いの外難しい。まず彼らの今の文脈とそのテーマに合わせて自分の経験を再構成する。もとより客観的な経験というものが存在しない以上、それを実際の経験とするのは無理があるのだけれど、物語として語ることで、とくに力のある言葉を発見できれば、聞くものに勇気をあたえることができるだろう。未来に踏むこむ力になるだろう。それ以外に自分の経験を後輩に話す理由など本来はない、と感じる。しかしながら再構成した自分の経験を語ることで、自分もまた救われるという鏡合わせのような構図もあり、どちらがより多くを得ているかというと、おそらく自分の方なのだ。このことに自覚的であろうと思う。ひとりよがりは僕の悪い癖だ。言葉が相手をさらに傷つけることも多く経験したのであるし。
 T先生、M先生、またいつか会いましょう。

2010年8月7日土曜日

go england go

 秋に英国に出かける予定。昨年は医師数が1名減ってしまってそんな余裕もなかったのだけれど、今年はなんとか行けそうです。たった1週間なのですが、目的は2つありました。1つは新しい診療所を中核にした地域医療・家庭医療のネットワークを広げて、この分野を希望する若い人たちにとってより活動的で魅力のある機会を提供できる施設になること(この地域の医師確保が大きなテーマではあるのですが)。そのための布石。もう1つは個人的なもので、GP(一般医:general practicioner)と言えば英国がオリジナルという感覚がずっとあって、米国式のFP(家庭医:family physician)とはちょっと毛色が違うgeneralistたちの実際の活動、その考え方や行動の生の姿を見てみたいというのがありました。医療システムの違いや民族性の違いはもちろんあるにしても、医師・患者という1対1のそのリアルな場面で生成されるだろう日常診療には共通の形式と問題点があるはずで、それを見たり或いは議論してみたいということでした。GPとしての自分をさがすような或いは確かめるような旅にもなるはずなのですが、かんじんの英語力がなあ・・・それでも気分はgo go englandです(いくぶん昭和的)。

2010年7月28日水曜日

dream of multiple thread;PCM×phenomenology

 なんでこんな夢をみたのか自分でもいぶかしいのだけれど、夢の中では、 "そうだ、multiple threadこそが、全てを(いかにも夢っぽい断言の仕方で)説明するのだ。”と言っていた。multiple threadなんて言葉も、どこかで聞いたことがあるなあ、というくらいでよく知りもしないのに全く不思議なことでした。夢の中のそれは、関係性による物事の存在成立を1つの平面(plane)とイメージしていて、それが無数にかさなり合って世界が成り立っており、しかも同時に併存していること。また1つのplaneは各自の関心志向性によってなりたつセットになっており、このplaneのどこかへの接触の違和感と親密感が他者性のよりどころになっている(夢では)。なお各自が無数に持つplaneはさらにメタな関心志向によって貫かれ、再構成され、随時新たな或いは一時的なplaneを形成する。このplaneの生成の有り様をmultiple threadと言っていた・・・ような気がする。ちなみに、今朝wikipediaで調べてみると、threadの原義はより糸を構成している1本の糸のこと。よくコンピュータのプラグラム関係で使われている言葉で、プロセスよりも細かい並行処理の実行単位と説明されている。うーん、なんだかよく分からないが夢の話と似てないわけでもない。おそらくPCMと現象学の話からたまたま出てきた夢なのだろうけれど、せっかくなので実際の臨床でその意味を考えてみようかな。