2009年6月17日水曜日

human souls, attracted by the gravity of the earth

 ガンダムを知るあたなにはこの台詞に未来(;とき、と発音)の涙が見えるかもしれない。この英訳がその真意を伝えらかどうかはきわどいところだけれど、地域医療に青春をかけてしまう或いはかけてしまったあなたにちょっとだけ語りたいと思います。今日お昼休みに”総合医の”由来を学生のS君たちに説明していて頭に浮かんだシャー・アズナブルの台詞だったのですが。
 そもそも”総合医”という言葉は自治医大の卒業生たちが、その実践と経験に自らが与えた名前であって、大学の教授たちは関係していないだろうこと(このブログ内”自治医科大学の冒険”を参照)。本大学のある県の卒業生は誰も地域医療学教室ー総合医養成の総本山らしいーに所属していないこと。地元に大学医学部があることろでは、おそらく専門医療の引力が強すぎて地域医療の真意や方法を考えるなんてことはないのだし、ましてや地域医療に青春をかけるなんてのはあり得ない話。そう、ここで重力が出てきます。地球の重力に魂を引き寄せられるものたちとspace colonyで生まれ育ったものたちの決定的な違いがこころにある。母なる地球の重力はそれはもう当たり前の大前提であって、存在も価値も全て負っているのである。なにが問題か?問題はない、この地球の上では。しかし地球の重力を逸脱したところに生まれる新しい魂の象徴としてnew typeとガンダムシリーズで呼んでいたものに僕らは共感する。たんにspace colony生まれではない、革新としてあるものであり、同時に本来の姿を表すもの。うーん、かっこよすぎるシャーの真似は結構プレッシャーがあるけれども、ああ、また自分の首をしめているようだけれど、敢えて言えばそんな地域医療の専門医を目指しています。
・・・つまりね、S君、総合医というのは本当はspace colony生まれの人たちを言うのであって、地球人には十分には理解されないと思うよ。ましてやnew typeはcrazyな圏外の人ということになるね。以上のことをすぐに理解できるあなたは、ちょっと変わった人だと思います。一緒に働きませんか?
 

2009年6月12日金曜日

how to be an ugly adult

僕は確かに”いやな大人にはなりたくない”と思っていたし、いまでもその感覚はあんまり変わっていないんだ。自分の主張も持たずに、ただただ周りにお追従をして、陰で悪口を言う。或いはまるでわかってもいないのに、歴戦の口八丁で自分を正当化しては悦に入ったり逆切れしてみたり、というタイプの大人たちのことなのだけれど、最近は全部が全部意味のない、唾棄すべきものだとも思わなくなった。周囲に合わせることは時にとても重要なことだし、自分の行動を正当化する論理を使えることもたまには必要だものね。いずれも社会的にあるためには大事なことだと思う。誠実さが担保されれば、という厳しい大原則があるにしてもね。それにしても影の悪口や卑怯な手口や過度の自己陶酔は、いまでも十分な嫌悪感をいだかせるのだけれど。僕らが感じていたみにくさというのは物資的なものではなく、その心の現れ方、物欲しげなその感性こそだということだよね。そんなんじゃ生きていけないって?うん。でもそれは生活のこと?生きるという意味の問題は重要だよ。僕らはいつだって生死とともにある職業人だからね。だから、職業人として自分を律するというのは、生死や真善美という類の言葉を目指すものであるし、物欲しげな品性とは正反対な生き方になるはずなんだ。困難な道だけれど、きっとあの頃の僕らは十分理解してくれるはずだよ。大人げないかな。
ーわからないことがあるときに、医師はどのように患者さんに話すのか、という話題から。
 

2009年6月3日水曜日

Dr.F, Dear Dr.F

 どんなことがあってもその道を歩む人たちがいる。もちろん結局のところ、好きでやっているということになるのだけど、どうしてそこまでするのかと不思議な胸騒ぎがしてしまう。使命感、それは大きなの要因の1つだろうと思う。僕がやらなければならない。歯を食いしばり、天を仰いでそうつぶやくシーンが目に浮かぶ。雨が降れば傘もささず、雪の中ではコートもなく。そりゃ、倒れるよ。だけれども、僕の知っているその人は、僕の敬愛する後輩なのだけれど、なんだか少し様子が違っている。信念が固いのは折り紙付きであるにしても、なんだか楽しげな雰囲気がただよっている。周りの人からのほほえみに感応するようにほほえんでいる。混乱の中にあって、新たな胎動に心を通わせている。うーん、すごい。
 ところで、そんな彼に僕自身が反応し、勇気づけられ、また歩きはじめるなんてことが、遠い昔には思いもよらなかった。だって、後輩だよ。本当はぼくが元気づけなきゃならないはずの。しかし、遙か彼方に輝く星からみれば、それは僕らに多分共通したあこがれのメタファーでもあるけれど、多少の年齢差は無視できるくらい小さなものではありますね。Dear Dr.F 貴方がいてくれてよかった。
 

2009年5月24日日曜日

mind as narrative , starlight of the future

 先日臨床心理学のM先生に自分たちの診察の様子を見ていただきました。ちなみに臨床心理士さんたちは、大抵精神病院の中にいて心理テストや心理療法をしていますから、プライマリ・ケアの現場で一緒になにかをするなんてことは普通ありません。以前からPCM(patient-centered method;患者中心の医療の方法)には心理的なアプローチが不可欠だろうと考えていましたので、面識を得たのをきっかけに今回の試みをお願いしたのでした。
 それはもう驚きのレビューでした。いままで2次元平面でみていたものが、まるでいきなり3次元になり、しかも色つきになったような感覚でした。これこれ!絶対これが必要なんだって!心理面の動きを家族とその社会のコンテクストで読み取ろうとする動き、当然それは物語として把握されているのですが、さらに近未来の物語を想定したアプローチが連動します。そう、こういうことをやりたかったんだって!PCMに物語が重要だと自分で言っていたにもかかわらずうまくできていなかったのは、思うに、本人・家族と社会の物語の多様性に対する経験不足というか認識不足(知識不足も)というあたりが原因なのではなかったか、と。
 物語としてとらえることは、心であるところの彼をよりリアルにとらえることになるでしょう。物語は本来的に未来を語るためになされるという話も伺いました、そうだったんだ。

2009年5月22日金曜日

the reason why

 H大学医学生のI君との会話ー理由のある診療をするということは、とても大切なことなのだけれど、多分誤解することも多いこの言い方は少し説明が必要だと思うよ。もうすでにevidenceのことを考えたり、強固な医師の信念を思い描いたりしているでしょ?臨床的には、根拠(evidence)のあることと、それを実施する理由との間には相当大きな、そして決定的な隔たりがあるんだ。PCMではダンスとして例える当のものだし、構造構成主義的には信念対立に深く関係しているものだよ。
 頭痛の人が頭部CT検査を希望しているとして、僕らが科学的と言っている医学推論においては検査が不要だと考えるのは根拠のあることだと思うよね。そしてある医師は検査をしない。一方ある医師は検査をするんだ。それぞれの医師はそれぞれの理由で、検査をやったりやらなかったりするのだけれど、この最後の決断を決定づけるものはなんだい?医師と患者さんとの関係性の中にしか答えはないはずなんだ。患者さんのせいにしてはいけない。evidenceのせいにしてもいけない。その決定は、つまるところあなたがしているのだから、むしろあなたに理由があるのだ。あなたの価値観や人格や、感情や経験がそのままあらわれているところの理由ある診療ということだよ。すべてがキミ自身を表しているということなのだから、心しておこうね。(僕もね・・・)

2009年5月12日火曜日

coming soon is never coming

 かつて見た紙芝居やさんのおじさんは、”またすぐ来るからね”と、僕ら子供たちに確かに話したはずだった。いつまで経っても現れないおじさんを、小銭を握って2−3年も待っただろうか、いつしか忘れてしまったいた。それが深浦町のこと。その後、弘前という街に移り住んだ僕は、なんということか、再びそこの街角で、同じ紙芝居のおじさんに会ったような気がして、嬉しいやら、悔しいやら、大いにおじさんを責めたいと思ったのだけれど、またしてもおじさんは姿を消してしまったのだった。ひょっとしたら空想好きの子供の夢だったのかもと疑ったりするけれど。
 ”また来ますから”、と多くの研修医さんたちが言ってくれるけれど、僕はね、あの紙芝居のおじさんのことで分かってしまっているんだ。そんなの当たり前じゃないか。それなのに、不思議なことに、それでも、いつか本当に会えるかもと、春の宵には信じていたりするのだけれど。うーん、ちょっと疲れているかな。
 

2009年4月25日土曜日

return of the network divers

 地域医療の研修に3ヶ月も来てくれていたK君と医師になりたてのTさんとのディスカッションからー研修全体を通したレビューの中で、どうも尾駮診療所では地域医療と言いながら、いわゆる保健活動や地域活動がないのではないかという従来からの批判があるし、実際K君もそのような活動が少なかったと思っているよね。研修期間中に話してきたのは、PCM(patient-centered method)の意味とそれに連動する地域アプローチのことだったのだけれど、今日は良い機会だからPCM×地域アプローチから見える地域活動の真意と来るべき未来の医師について話しておこう。
 地域活動のある表現が、保健活動の立案や地域ケア会議の主催や或いは地域興しだとするのは間違っていない。けれども、これらがないからといって、医師が地域活動と全く没交渉ということにはならないんだ。順番に話していこう。まず地域の活動とは、そこに関与する人たちがある目的を持って動くということだね。そして人が動くのは実は心が動くということ(目をつぶってみればすぐ分かることだけれど)。さらに心を動かすのは自分以外の誰かの心との共鳴だというのは自明ではないか?そしてこのような共鳴する心の繋がりはその関係する人の数だけ増えていって、ちょうどネットワーク状のシートを形成することになるのだよ。これに医師自身が含まれていると自覚するとなにが起こると思う?地域が自分を含めた人と人とのネットワークで形成されており、医師としての自分の動きや対応で、それが揺らぎ、或いは反動がもたらされ、形状を変えて行くのが想像されるでしょ。例えば介護職の方を一方的に非難したとたん、その人から波及した感情がネットワークを揺らして、場合によっては福祉の連携がぎこちないものになることだってあるんだ。
 さて、K君。この3ヶ月できみが関与した地域でのネットワークを考えてみて下さい。キミの言葉で形状を変える目にはみえないネットワークが確実にあることに気づくでしょう。それが僕の思う地域活動の真意だし、そのネットワークを意識して、それに飛び込み関与しつつ医療活動ができる医師が未来形だと思っているんだよ。network diverって名付けているんだ。僕?いや、まだまだビギナーだよ。まだ未来は僕には訪れていないよ。