さてそのGDT(笑)のこと。結論から言うとあんまりシンプルで当たり前のような気がして、ブログにのせるのもどうかなあとは思いましたが、なんだか、結構研修医の人たちの反応が良いので、書いてみます。診断=障害部位(解剖)×時間経過(病理)この際、障害部位(解剖)は症状をキャラクター分析することで推測し、さらに時間経過を特徴的な病理変化と対応させることで診断名に至るというものです。この方法でゆくと、部位や系統は全く関係なく考察できるようになって便利です。皮膚でも骨格でも、心臓でも肺でも、神経でも精神でも、同じ思考過程になって行きます。当たり前って言えば、当たり前なのだけれど、実際のケースで1つ1つ検討してゆくとその面白さがわかってくるように思います。おお、これこそGPのための診断学だあ!と叫んだのは夢の中でしたけどね。ああ、周りに人がいなくてよかった〜
2009年3月18日水曜日
general diagnostic theory
またまた変な造語を英語に置き換えて煙に巻いている訳ではないのですが、こんな言葉になるのかなあ。研修医の先生方とのやりとりの中で結晶化した汎用診断理論(或いは屁理屈)。あえて英語にする理由もないのですが、以前お話していたheart station projectの1つに英国一般医・家庭医との連携を考えているものですから、そのためのほんのささやかな英語練習の一環で、われながら大海に一滴という感じで、ちょっと泣けてきますね。
2009年3月11日水曜日
the left hand, just set softly
変なタイトルでしょ。今週はB大医学部の卒業生が地域研修に来ています。彼がバスケット部に所属していたというところから話は始まったのですが、ここでもうタイトルの意味が分かった貴方はきっと”スラムダンク”のマニアだと思う。そう安西先生に指導を受け、山王との戦いのクライマックスに花道がつぶやくその台詞!”左手は添えるだけ。”を勝手に英訳してみたものです。知らない方、すみません。
夕方の検討会でPCM(patient-centered clinical method)を例のようにF先生オリジナルの4分割マトリックスで説明していた時のこと、たまに感じるちょっとした違和感ー簡単に理解できている、あんまり簡単に理解できることに軽い苛立ちを覚えていたのでした。”左手は添えるだけだよ、花道君”と言われて、それは誰でも理解できる簡単なことなのだけれど、流川(主人公・桜木花道のライバル)に花道へのパスを決断させるくらいの信頼を得るために、花道には何万回のシュート練習が必要であったことか。理解できることと自分がプレーヤーとしてなにごとかを成すことは全く別ものであって、playerになるためにはplayするしかない。playerとはplayする人のことだと、tautologyもなんのその、相変わらず脱線続きの夕方検討会でした。
”おれはGPですから。”という台詞に反応できるあなたは、きっと”スラムダンク”と地域医療のマニアだと思う。(ちなみにGPはgeneral physicianの略)
2009年3月6日金曜日
confusion, jazz, and primary care
大変な事態で混乱しています。どうも春から常勤医が一人減ってしまう公算が高くなってしまいました。3人でやりくりしている地域の医療がただ1名の減員で大きく変わってしまうことは予想していたものの、いざ現実化するとなると不思議な感覚になります。悪夢が現実化したような、あれれ、これは夢で見たあれだ!ついに夢に追いつかれてしまったのか!という風に。
しかし一方で、この混乱を比較的冷静に見ている自分がいることもまた事実で、深呼吸をしてぼうっと空を見上げた時のjazzyな感覚も同時に自覚できるようです。敢えて(やせ我慢ということですね)言えば、これがprimary careの性質であって、混乱と不安定性こそが地域医療の本性であるとも思います。ですから、primary care研修にはもってこいの環境が、敢えて言えば(超やせ我慢ということですが)整うことになりました。来たれ若人。confusion, jazz, and primary careという妙なキャッチフレーズを考えつく僕は、ちょっと、どうかしているでしょうか。大丈夫かなあ。俺。
追伸:家庭医療・地域医療を目指す医師たちに告ぐ。ハヤクキテクレ。
2009年2月27日金曜日
Hello again
長期間のご無沙汰でした。アクセスしてくれていた方たちには大変恐縮な事でした。実は昨年12月の末に無痛性左頚部リンパ節腫脹が発覚(女房に指摘されたのでした)。随伴症状もなく、他部位での腫脹もありませんでしたので、まあ、痛みはないのだけれど感染症なんだろな、と全く論理を離れて考えていました。ところが1ヶ月経過しても、抗生剤を服用しても、およそ3cmのリンパ節は縮小することもなく、ついに悪性リンパ腫を覚悟して某総合病院を受診しました。かつて僕のオーベンであった先生に頼んで、当日にほぼ全ての検査を終了。リンパ節生検もその日に手術場で行いました。
思ったより緊張はなし。心電図のモニター音で心拍60程度で不整のないことを確かめたり、深吸気で心拍が変化するのを確認したりしていると、多少の痛みは織り込み済みの摘出手術は20分程度で終わったのでした。手術担当の先生に肉眼診断を尋ねると、”医師同士ということで率直に言いますが、悪性リンパ腫っぽいですね”とのこと。50%の事前確率はこの時点で90%に跳ね上がり、女房にその旨を説明すると、泣くこと泣くこと・・・。その顔をみて、今度は自分がもらい泣き。妙な感覚、誰が病気なのか一瞬わからなかったのでした。
死ぬかもなあ50%の確率で。診療所の仕事は?子供たちは?抗ガン剤で髪が抜けたら、何色のかつらがいいかな。iPod買おうかな。好きな本をいっぱい買ってから入院しても、多分読む気力がないのかな。やっぱりマンガが良いか?3日後の大学の講義までに顔の腫れがひけるかな?疾風怒濤。なんだかお祭り騒ぎのようでした。
その4日後、オーベンより電話あり。”病理診断では悪性リンパ腫ではないようなのだけれど、先生、木村病って知ってる?好酸球によるものらしいのだけど。”知りませんが、とにかく悪性リンパ腫ではないので、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。女房が喜びます、と、日本語が変でしょ!そういうことで、またブログを再開したいと思います。
2009年1月9日金曜日
涙もろさの発見
最近妙に涙もろくなっている。テレビコマーシャルで見かけたシーンー仕事が忙しくて朝ご飯になんとか入りの(なんかの商品です)おにぎりしか用意できなかったお母さんが、まだ4歳位の息子の前に座って言う、”ごめんね。”すると、子供は不思議そうに、”なんで?”という。これだけなのに、涙が溢れてしまう。なにも疑わず、その子にとって太陽のような母の愛情を全身で浴びる息子の仕草と言葉。太陽の暖かさがあれば、ねえ、他になにが必要なのですか?
自分の息子たちが正月休みに帰郷して、あっという間に帰ってしまったことが影響しているような気がする。それにしてもこのシーンに共感するために、僕には50年という月日が必要だったのかもしれない。ある年齢や経験がなければ体得できない言葉があるのだとしみじみ思う。例えば親子の情、涙もろさ。多分、外来診療のさなか、つかみきれなかった言葉の残骸がただよっているのだろう・・ごめんな、みんな。共感こそが地域医療の方法のコアだと大見得きったものの、それが上手にできないことも同時に知っている自分としては、齢を重なることで発見する言葉との出会いにかすかな望みをかけてます。年をとるのって不思議なもんです。悪くはないです。
2008年12月29日月曜日
自治医科大学の秘密ー伝統の在処
新年あけましておめでとうございます。今年も自分勝手な文面が続くのですが、新年早々、昨年の続編を少々ー今度は自治医大の秘密。時期が少しずれてしまいましたが、自治医科大学の学生さんたちとの定例忘年会のこと。卒業生は仕事をやり繰りできる人が12名、そして学生は6年生を除く10名ほどが参加します。今回はご家族連れの卒業生も2組。自分の息子ほどの年齢の学生さんたちや若手の研修医を交えた忘年会はおよそ2時間の勉強会付きで始まります。今回は派遣施設の紹介でした。どの施設も自分たちが実際に派遣される可能性のある施設ですから、勢いまなざしは真剣です、うんうん、なかなか皆なかわいいぞ。その後は酒宴が3時間あり、各自温泉に入りながらも2次会が終わったのは午前3時でした。説教される人、馬鹿話の人たち、将来を語る人など、先輩たちもまんざらでもなさそうな一夜でありました。
思えば自分が学生の頃から綿々と続くこの忘年会こそ、ある意味、伝統を伝える夢の在処かもしれません。先輩たちの白熱した議論(まあ、昔は喧嘩でしたね〜)、学生さんたちのちょっと恥ずかしい芸の発表(かつては先輩のご家族の前でも発表したのでした)、若手がそちらで症例の話や悩みを打ち明けていたり、医師の生き様や地域医療の方法を話したり。
自治医科大学の本体ではなく、その末端と言われる県人会での交流の中にこそ、計らずも新たな独特の文化がつくられていたようなのです。ブラジルという環境と文化の中でサッカー選手が多く輩出するように、この忘年会の中で地域医療の戦士たちが育成されていたのでした(半ば妄想)。地域医療を語る文化を形成すること。その中で生まれてくることー地域医療を行う医師を育てるための重要な方法論ですね。
2008年12月18日木曜日
自治医科大学の冒険その4(一応最終回・・ ふ〜)
目覚めた人たちの顛末を、まだ20歳代の僕は複雑な思いでみていました。彼らが去った後の医療センターはなにごともなかったように運営され、義務年限を終了した卒業生たちが田舎で習得できなかった各科専門技術の修練に集まってもいました。自治医科大学の本営は、自分たちの慣れ親しんだ従来の価値観に照らし合わせて、多分それをよしとしたのでしたが、画期的な事業の立ち上げの機会を永久に失ったように思います。大学での一般的な医学学習・卒業生との交流→地元での臨床研修→へき地診療の実践→大学・センターでの各科研修バックアップ→専門家としてのキャリア。ついに円環構造は完成しました。大学人の価値観は守られ、総合医という言葉はへき地で必要な各科技術の習得と実践という同じ地平に置かれることになりました。彼ら目覚めた人たちは、その地平から空に向かって立ち上がった人たちだったのでしたが。彼らはなおも総合医療や家庭医療の尖端で、その価値観を示し続けています。まるで伝説の巨人のように。
ところで、このへき地医療を担う総合医養成の円環構造は実にシンプルです。教える側は変わる必要がないのですから、自治医大でなくとも地元の大学で行う方が効率的でさえあります。各大学で地域枠の医師が多数輩出するだろう現在、自治医大が恐れるのは当然でしょう。内容は真似易し。姿は真似難し。このことの重要性を引き受ける覚悟があるかどうかが自治医科大学のこれからを占う試金石だと個人的に思っています。さて、これから、どのような冒険が待っているでしょう。第二幕はすでに上がっていますね。
登録:
投稿 (Atom)