やがて卒業生たちは、自分たちに”総合医”という名前をつけるようになる。自分たちで自分たちに名前をつけるということの意味。親の知らない名前。そしてこの名前、この新しい言葉が、次の冒険或いは混乱への契機になるとは誰も知らないのでしたが、今となってはそれは1つの運命だったということになりますね。さらにつづく、かな?
2008年12月2日火曜日
自治医科大学の冒険その2
前回からの続き。どうなることかとの心配をよそに、自治医科大学の卒業生たちへの評価は予想以上に高かったのでした。もちろん需要と供給の関係があり、経験は浅いけれども、とにかく一所懸命に医療を提供しようとする若者たちを評価してくれたということなのでしょう。特に一番最初に赴任した人たちの仕事ぶりは知識・技術もさることながら、へき地で体験された数々の物語は非常に感動的であり、『いま、へき地医療は』という本の中で長く語られることになります。ほっとするのと同時に、大学の人たちは自らの教育に自信を得たのではなかったでしょうか。学校では基本的な医学を教える。地元の医師に多科研修をお願いする。へき地に出向けば、それなりに貢献できてしまう。いいんじゃない!ほーらね。
2008年11月28日金曜日
自治医科大学の冒険その1
自治医科大学という大学をご存じでしょうか。僕が卒業したのがすでに25年前のこの学校はへき地医療の確保をその使命として設立されたものです。各県から年に2−3名が選抜試験を経て入学し、医師国家試験はほぼ毎年100%の合格を誇ります。卒後の義務年限が9年あり、おもにへき地の医療機関でその時期を過ごします。もともと医師の少ない或いは医師のいない場所に赴任するわけですから、いくら若造でも、なんとなく感謝されてしまいます。もちろん率直に、”藪医者”と、言われたりもしましたっけ。
そうそう、なぜ”冒険”なのか。まず、大学の教授陣たちの多くが東京大学の出身で、へき地或いは地域医療の主体的な経験がないということ(見学はしたことがあっても、そこに住みともに悩むという経験はないので、主体的とは言い難いですよね)。卒後の研修はすべて出身県の中核病院の先生方と卒業生そのものに(ほぼ)丸投げだったこと。それはまるで戦場で戦ったことのない教官が武器の使い方を本土で教えて、すぐさま前線に送り込んだような状態だったのでした。武器があれば、良いでしょ!・・・って、お〜い。
彼らは戦えるのか?”基礎科学は教えた。あとは、現場でやってみてくれ”作戦。うーむ、大冒険だったと思うよ。地域医療を知らない教授に教えを受け、教え子は一人も学校に残らないという不思議な医学校の冒険はこうして始まったのでした。つづく。
2008年11月21日金曜日
ドアをたたく
先日弘前大学医学部で学生さんを相手に講義をする機会をいただきました。大学3年生、みんな若い。そりゃそうか、自分の子供たちと同世代だもの。『地域における高齢者ケア』というタイトルで1時間半。とにかく最後まで眠ることがないように、と自分の学生時代を思いおこしつつ行った講義でした。ケースワークを通して地域におけるケアを疑似体験すること、その中から地域医療の特性や方法を学習することにしました。最後はいつものように一方的にこちらの思いこみを熱弁することになってしまって、ドンドン、俺の話を聞きたまえー!ありゃ、授業じゃないな〜
地域医療のスタイルと方法を論理的に把握することはもちろんとても重要なことなのだけれど、それを根底で動かしているのは非論理であるところの感情であることを伝えたかったのですが、叫んじゃだめだな。まるで怒っているような顔になるし。ドアは軽くたたくものだ。気づくひとだけが、そっと、だけれど確実に、気づくだけだ。
2008年11月13日木曜日
たとえば君がいるだけで
という歌を思い出す。その続きは”こころが強くなれること、なにより大切なものを気づかせてくれたね。”だったかなあ。亡くなる方を目の前に、もうすでに心拍は停止しているのだーカシオペアの下を白鳥たちが飛んでもいるだろう夜にー大勢の家族が集まって、唱和するようにみんなで叫んでいるのでした。”ありがとう。お母さん、いままでありがとう。”なんども、なんども波のように続いて、まるで船の見送りのようでした。君がいるだけで、僕らはこころが強くなるだろう。死をみんなで受け止めることで、君の不在を共有することで、不思議なことに、僕らはあなたを忘れないようになるだろう。家族はきっと強くなるだろう。ご家族のお母さん、りっぱに勤められましたね。ありがとうございました。
2008年11月5日水曜日
大丈夫、一緒に行こう。
研修医のM君から手紙が届いた。彼は1週間だけ僕らの診療所に研修に来てくれた、若くて情熱にあふれ、世界的な見地で医療や保健を考えることのできるタイプの人だ。他のシステムの研修病院に来年からお世話になる決意といままでのお礼を、いまどき珍しく手紙でおしえてくれたのでした。優秀さは折り紙付きの誠実な彼が新しく選んだ施設は、やはり地域医療で有名な、しかも総合病院とのしての機能も充実したところでした。彼には果たすべき目的があって、それにそった選択の仕方をしているのでした。すごいな〜、まだ卒業していくらもたっていないのに、来るべき未来にそった生き方ができるなんて。しかも僕らのことに恩義を感じて気にかけてくれるなんて。
大丈夫。こちらの都合を気にすることはないですよ。そもそもなにもできなかったのだから。ところで、君は想像もできないでしょう。僕は(或いは僕らは)君が熱心に誠実に研修につとめる姿を思い出しては、自分を奮い立たせていることを。君の情熱にこちらこそが共鳴していることを。僕らは地域医療のイデアでむすばれた仲間なのだから、離れていても全然大丈夫。僕らも君と一緒に歩んでいるのだから。
ところで、手紙の返事なんだけれどね、手紙書くのが苦手なんだ・・・・
大丈夫。こちらの都合を気にすることはないですよ。そもそもなにもできなかったのだから。ところで、君は想像もできないでしょう。僕は(或いは僕らは)君が熱心に誠実に研修につとめる姿を思い出しては、自分を奮い立たせていることを。君の情熱にこちらこそが共鳴していることを。僕らは地域医療のイデアでむすばれた仲間なのだから、離れていても全然大丈夫。僕らも君と一緒に歩んでいるのだから。
ところで、手紙の返事なんだけれどね、手紙書くのが苦手なんだ・・・・
2008年10月29日水曜日
魂の不滅について
”魂があるかだって?あるに決まっているじゃないか。”と語ったのは、小林秀雄だった。僕はそれに勇気づけられていたし、ほうらね、なんとなく皆んなが感じている通りだろーと、小林秀雄の言葉を魂の不滅に関する動かしがたい証拠のように感じてもいました。もちろん幽霊ではなくて、魂のことなのですが。
昨日、佐賀の白浜雅司先生がなくなったと聞きました。昨年は田坂佳千先生が突然倒れられて家庭医療界に衝撃が走りました。白浜先生には一度だけお話をしてただいていますが、田坂先生とは全く面識もなく、田坂先生のメーリングリストを拝見するのみでした。二人とも影響力の強い方でした。家庭医療に魅せられた同じ年代の彼らの死を他人事ではないと感じるとともに、彼らの魂のことを考えていました。
魂はそこにある。強く思う人とともにある。魂とは、強烈な感情をともなった関係性の記憶の別名であるから。関係性の記憶がなくなるまで魂は滅することはないと思います。まして言葉や書籍が残っていれば、受けとめられる人に、時代に関係なく、例え面識などなくても魂は訪れるに決まっています。彼ら2人に魅了された人たちともに魂は不滅でしょう。そう、思い出せばリアルによみがえるその言葉や態度は実在します。家庭医療をめざす人の傍らに、彼らはいつも、いつでもよみがえるでしょうね。
2008年10月18日土曜日
大工さんがいない
来年度の医師臨床研修のマッチング状況が新聞に載っていました。研修医を受け入れる施設とそこでの研修を希望する医師たちとの全国版組み合わせのことですが、弘前大学は希望者が増えていますね!外来棟の建て替えや救急医療計画を要因にあげる人もいるけれど、そんなに研修医を馬鹿にするものではないと思います。研修を担当する教官たちの実力と熱意が波及した結果だと素直に解釈すれば良いのにね。多くの研修医はまじめに将来を考えていますもの。
一連の新臨床研修制度の致命的な欠陥は、もちろん私見ですが、立派な設計図を配布したのは良いけれど、それを実際に形にする大工さんがいなかった或いはあまりに少なすぎたことだったと思います。設計者だけでは家は建たないという単純な話。もちろん指導者研修会も開催されていますが、失礼ながら、まるで日曜大工の講習会みたいな感じです。講習を受けたはいいけれど、もともと大工仕事が不得手だったり、あまりに日常に忙し過ぎたりして実行するのは難しかったという言い訳もあります。結局は大工仕事はいろんな意味で割に合わないし、もともと興味もなかったということでしょうか。大工さん、いないじゃないか・・・家、建たないっしょ。
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