2008年7月4日金曜日

君の頭を貸してくれ

若い研修医や医学生とのお話。診断の検討をしていて、予想外の展開になることがあります。分からないことが分かるーこれが二重構造になっていて面白い。彼がわからないというその場所の彼にとっての発見でもあり、同時にそこが分からない彼をしらなかったということを発見するこちら側の驚きがあります。ここまで認識できた上でその解決法を2人で考えていると、奇妙な共同作業になって行きます。それは新しいプロジェクトの様相を帯び始めてくるのですが、どうもこれが単独の頭の中で発生したとは思えず、お互いの頭の中が一緒になって出てきたような感じなのです。昔風に言えばアウフヘーベン。ちょっと違うか?それにしてもdiscussionって面白いものだなあ、と思います。年齢差は20歳。でもそんなの関係ないようです。

2008年6月22日日曜日

コーヒー5杯分の結論

 大学の研究室ではなくて、一般の外来診療や地域医療の中で、人を対象にして行う研究の一般は臨床研究と呼ばれています。家庭医療学会でもプライマリ・ケア学会でも世界家庭医療学会でも、ここ数年よく言われています。10年くらい前に僕らもそのような活動をしていたのだし。だけど、できない。学会が騒ぐのも、裏を返せば実際にはできていないからでしょう。
 近々京都大学の福原教授に臨床研究のお話を伺うことになっていて、今、付け焼き刃的に疫学や研究の本を読んでいます。うーん、読みづらい。眠くなる。もう、コーヒー5杯目だよ、と女房の声がする。研究発表で世界を変える気なんてない。むしろ、自分の人間性が臨床に与える影響をなんとかしたいと思う。自分の心理コントロールと改善が課題であるなんてことが、そのまま研究になってくれたらいいのになあ。教授に聴いてみようかな。
 なぜ臨床研究ができないかという研究(?!)も発表されています。時間と仕事の制約の他に、患者さんとの関係にあたえる影響を心配したり、大学の研究者に対する疎外感(自分はただ利用されるだけ)や怒りがあるようでした。謙虚に、本当に患者さんのためになることを考えて行うのでなければ、そして臨床医との共同作業であることに十分気を遣わなければ、臨床医の反感をかうことになるのだと思います。いろいろな意味でむずかしいですね。

2008年6月15日日曜日

遠い目標、遠い星。

岡山で行われたプライマリ・ケア学会に行ってきました。永井友二郎先生という、この学会の創始者ともいうべきご高齢の先生の講演は感動的でした。自らの経験をもとに深く考察され、”プライマリ・ケアこそ究極の医学”と論ずるに至るその確信と迫力が、おどろくほど穏やかに語る静謐さを裏打ちして、聴く者たちの心を振るわせているようでした。澄み切った冷たい水をのみほすような感覚。或いは北極星。日本にもちゃんといるではないか。あのような医師になりたい。あのように生きてみたい。しかし遠い、本当に遠い目標。

2008年6月12日木曜日

疾患名は抽象的

疾患名は抽象的な概念なので、誰にでも使えるが実は誰にも適応できない。その人の背景や生い立ちや家族や社会、或いはその人の信条のという全体性の中にその疾患名を置くと、えらく場違いな感じがする。映画の中に突然アニメーションを組み込んだときのあの違和感に似ています。同じ感冒だって、その人その人でまったく違った意味や重みを持つものなので、急性上気道炎という言葉に翻訳した時におこる抽象化に気をつけた方がよいと思う。それでは分かったことにならないと思う・・・ということを、若い医師に話すことがあります。そんなことを考えても考えていなくても処方箋の内容は同じだったりするので、意味がないのではないか、とも言われます。多分違うのは、話す態度や物腰だろうと思うのですが、なぜこのような違いが発生するかというと、全体性の中でみた疾患概念の変貌に驚きを感じるからなのだと思います。例え話を1つ。疾患概念を墨汁の1滴に、ある人の全体性をお皿に入った水とします。お皿の形や大きさや色、或いはその深さによって、或いは滴下するスピードによっても、落ちた墨汁が水面にあらわす模様は全く独特なものになるでしょう。そのお皿さえ、時とともに変化しますから毎回が違ったものになります。驚くべきことですね。

2008年6月1日日曜日

伝わること、その周辺

意図したものがつたわらない。或いは意図していなことが伝わっている。たとえば気持ちの入らない空返事で伝わるのは、”君には興味がない”ということだったりします。地域医療を学ぶ学生さんに、コミュニケーションとネットワークにおける立体構造(話せば長くなるのですが)の意識が決定的に重要だと力説する僕自身のコミュニケーション能力の低さが露呈していたりします。もともとコミュニケーション能力の高い人は、そんなこと意識しないでできてしまうので、ことさら重み付けをする必要がないのだと思います。え?それがそんなに大変なことなの?という感じ。めいっぱい気張って多分人並みのコミュニケーション能力なので、そうでない人からみると理解しがたいほど疲れたりします。僕は一流の家庭医には決してなれないだろうと深く確信する理由がここにあります。どうみても僕より適性があるような学生さんに、K教授の周辺でよく遭遇します。教授が伝えているものは多分単なる知識ではありません。意図していないものが、或いは言葉に表現していないものが伝わるという不思議がここにもありますね。

2008年5月25日日曜日

結婚は覚悟でしょ

 先日、研修医のI君たちとの飲み会の席。ほとんど酒の飲めない自分でしたが、その日はI君の奥様も出席されていたので、ほろ酔い気分も手伝って、なんだかそんな話になりました。そう、医師はどうやってその将来を決めるのかということなのですが。
 現在、医師になって2−3年目で将来の方向を決めている人は少ないのではないでしょうか。臨床研修制度が始まる前には、医師免許を取得する前後で医局を選ぶことが将来を決める上で決定的に重要だったと思います。医局が決まれば多くの先輩の例を参考におおよその人生設計までできていたのだと思います。診療科を選ぶということは、疾患ベースのパラダイムの中にあって種類を選ぶということですから、いずれを選んでも価値観に動揺はないはずです。
 ところが、地域・家庭医療に進むとなると話は違います。パラダイムが違うので価値観が違う。既存のパラダイムの人たちには認められなくて寂しいし、包括性や物語性の中で活動する医師には多くに技術とともに多様性に対応する柔軟性も求められるのです。うーん、難しそう。だけどね、ここでようやく結婚の話にもどると、つまりそれを選ぶと言うことはその価値に惚れるということで、できる・できないの話ではなく、やるか・やらないかの覚悟の問題ということになるのでした。結婚する女性は、実家を捨て、名字をすて、生まれ故郷を捨て、友人を捨てて嫁いでくるのだから、男の僕らは太刀打ちできないくらいすごい度胸をもっているということなのだぜ。

2008年5月8日木曜日

よい臨床医になりたいです

息を引き取った方、その周りに集まるご家族。50歳となり、僕自身の感情の動揺が大きくなっている。とてもとても若い医師のころ、疾患・病態の理解やそれに立ち向かうことの訓練に明け暮れていたころ、死に立ち会っても僕は本当に泣くなんてことはなかった。そうだ、医師は科学者なのだからいつも冷静にあるべきだ。感情的になってはいけない、となんとなく知ったような台詞をつぶやいてもいたが、真相は今にして思えば違っていた。僕は本当に悲しくなかったのだから。自分の冷淡さを、都合の良い、みるからに取って付けたような台詞で覆い隠していただけなのだと思う。この中年と呼ばれる年齢で、子供たちが成長し、妻と再び二人きりになり、お互いの老いと死を感じるようになり、尾駮沼の鳥に永遠の影を感じたり、星が瞬いたり、ロマンチックなんだか、センチメンタルなんだか、誇大妄想なんだか、馬鹿なんだか。これからもっと勉強して、良い臨床医になりたいです。